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世界で最も残虐な人物

[1:カステラ様 (2010/04/20(Tue) 01:37)]
歴史上、最も残虐な人物は誰なのか議論しましょう
評価は、虐殺数、虐殺方法など


[40:名無しさん@お腹いっぱい。 (2013/06/22(Sat) 18:05)]
人肉宴会が行われた、文化大革命
毛沢東が、権力回復の為に起こした政治闘争。内戦。
学生をあおり、軍隊を出し、教師など知識人や、中国国民党と関わりのあったものを言いがかりを付けてリンチ。1000万人〜3000万人を虐殺。


[41:名無しさん@お腹いっぱい。 (2013/06/22(Sat) 18:06)]
文革の頃、たくさんの人肉食記録が残っている。
知識人などに「階級の敵」とレッテルをはり、糾弾集会をみんなで切り刻んで喰った。そんな事が流行った。
中国・広西省武宣県では文化大革命の間に、共産党の迫害によって死んだ人間は524人。その内、食われた者は百数十人。
武宣県において食人行為を行った者は推定1万〜2万人にのぼる。
1968年7月1目、武宣県の桐嶺中学副校長・黄氏は、糾弾大会につるし上げられ殺された。学校の食堂や廊下、区役所の炊事場でや教員宿舎や女子学生宿舎で、人肉を煮たり焼いたりしての人肉料理の宴会が行われた。


[42:名無しさん@お腹いっぱい。 (2013/06/22(Sat) 18:07)]
国民にとって、毛沢東は英雄。
自分達国民をもっとも殺した人間を、英雄と騙されあがめている(なぜなら、共産党が権力をにぎっているので、共産国の建国の父、英雄と教えている)。
中国人は、日本に戦争で中国人を殺したと文句を言っていて、比べ物にならない殺人者毛沢東をあがめている。


[43:名無しさん@お腹いっぱい。 (2013/06/22(Sat) 18:09)]
 21世紀に、人肉料理文化のある残酷民族は中国だけ
飢饉や非常事態、異常者によるカニバリズム(食人)はどこの国でもある(日本で日本兵が仲間を生きるために食べる、もちろんあった)。
しかし、「人肉市場」「人肉宴会」「人肉料理法」「人肉レストラン」があるのは中国だけ。人肉を楽しんでいる思考の隣人。
中国の史書にたくさん残されている。自分の肉を親に食べさせるというような孝行話が多い。
1965年くらいの文化大革命では、人肉食が白昼堂々と行われていた。
現在も、田舎では胎児のスープ(嬰児湯)が滋養強壮の為に食べられている。
「レイプ・オブ・南京」で、アイリスチャンの書いた「日本兵が人肉餃子をつくる」という所が、自分の国の文化からきている嘘というのがわかる。


[44:名無しさん@お腹いっぱい。 (2013/07/08(Mon) 11:10)]
文革の頃、たくさんの人肉食記録が残っている。
知識人などに「階級の敵」とレッテルをはり、糾弾集会をみんなで切り刻んで喰った。そんな事が流行った。
中国・広西省武宣県では文化大革命の間に、共産党の迫害によって死んだ人間は524人。その内、食われた者は百数十人。
武宣県において食人行為を行った者は推定1万〜2万人にのぼる。
1968年7月1目、武宣県の桐嶺中学副校長・黄氏は、糾弾大会につるし上げられ殺された。学校の食堂や廊下、区役所の炊事場でや教員宿舎や女子学生宿舎で、人肉を煮たり焼いたりしての人肉料理の宴会が行われた。


[45:名無しさん@お腹いっぱい。 (2014/05/08(Thu) 07:57)]
人食い人種=中国人=野蛮な肉食なさるwww


[46:名無しさん@お腹いっぱい。 (2014/07/24(Thu) 11:42)]
日本でも薩摩では人肉を食する風習があった。
戊辰戦争では、薩摩と会津藩(徳川方)が戦った、
薩摩は多くの会津兵を殺し人肉を食した。


[47:名無しさん@お腹いっぱい。 (2014/07/26(Sat) 18:55)]
合津では死者の埋葬は禁止された、
人肉を食するため、


[48:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/10/14(Sat) 14:40)]
age


[49:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/10/24(Tue) 21:22)]
比較民族研究会「比較民族研究」第五号(1992年)の「医療としての食人―日本と中国の比較―」(吉岡郁夫)より引用。

「次に、本稿の主題である医療としての食人の文献例をあげてみよう。寺石(1893、P128)は、明治10年(1877)の西南戦争の際、肥後・薩摩の人々のなかには、人肉を食べた人がかなりいたという。その理由は「(九)州内ニハ古来ヨリ人肝ヲ喰ヘバ某ノ効験アリ」といわれていたからである。」


h ttp://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M19/M192452/4.pdf
ここでの寺石(1893)とは、寺石正路「食人風習論補遺」(東京人類学会雑誌 8巻82号127-130, 1893)の事です。

医療というか薬効を期待しての人肉食であれば、江戸時代の山田浅右衛門(首切り役人の家の当主が代々名乗った名前)が、人肉起源の薬を売って大儲けしたという話が有名ですし、↑にリンクをいれた学者の論文の中にも、昭和初期までの事例が載っています。
つまり、時代背景からして、ありえない、なんて事は全く言えない、というか、敢えて眉に唾をつけて聞く必要はない話です。

その一方で、会津戦争では、専ら憎悪から来る、幕府方・会津方双方による人肉食も報告されており(↓はその例)、西南戦争のケースも、それが歪んで伝わった可能性もゼロではない、と思います。
h ttp://www.niigatashi-ishikai.or.jp/newsletter/my_library/book/2011...


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