☆昭和SP歌謡 歌謡史を支えた主な名歌手(戦前・戦中) 1,
[1:名無しさん@お腹いっぱい。 (2016/02/12(Fri) 23:17)]
「昭和」も遠くなりました。昭和は明治、大正を合わせたより長く、1926年12月から1989年1月まで62年あまりあります。
「昭和」と言う、まだ日本がまだ草深かった時代、日本がまだ貧しかった時代、レコード歌謡が花開き、人々に迎えられたのです。SPレコードの時代です。
その歌手の多くは音楽学校出身者でした。以下にその歌謡史と歌謡史を支えた主な歌手と主な歌を。
[138:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/04/17(Fri) 17:43)]
名歌手・徳山l、殆ど多くの歌手によって○○調など決まってしまうのが多いが、徳山lの歌は歌によって変わる。
「満州行進曲」など多くの軍歌を豪快に歌うこの歌手が歌う、四家文子と歌う「天国に結ぶ恋」のやさしい歌声。これぞ名歌手の名歌手たるところ。
[139:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/04/17(Fri) 17:46)]
徳山l(とくやまたまき)
侍ニッポン
天国に結ぶ恋
かんかん蟲は唄う
雪の渡り鳥
ころがせころがせビール樽
夜の酒場に
ミミの歌
想い出のギター
隣組
ルンペン節
赤い灯青い灯
百万人の合唱〜幸福な朝
恋に泣く
悲しきジンタ
サラリー・マンよ
ブム大将
ガラマサどん
天から煙草が
歩くうた
紀元二千六百年
先陣訓の歌
太平洋行進曲
満州行進曲
大陸行進曲
国民進軍歌
戦友
愛馬進軍歌
日の丸行進曲
空の勇士
海の勇者
哀歌
さくら・さくら
黒い瞳
愛国行進曲
・」
・
[140:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/04/17(Fri) 17:53)]
放送オペラ 放送一覧
内山惣十郎著「浅草オペラの生活」(昭和42年 雄山閣)を基に構成しました。
h ttp://stokowski.web.fc2.com/jp/nattoku/opera_air.html
二村定一、徳山l、天野喜久代、河原喜久恵、藤原義江、佐藤千夜子、奥田良三、川崎豊、四家文子、関種子、増永丈夫(藤山一郎の本名)・・
知る人ぞ知る錚々たる名がみられますね。
◇徳山l追悼/青砥道雄(『音楽之友』 第2巻第3号 1942年03月 p.98-100
[141:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/04/17(Fri) 18:01)]
◇徳山l追悼/青砥道雄(『音楽之友』 第2巻第3号 1942年03月 p.98-100)
内容:徳山l[とくやま・たまき]は1942(昭和17)年1月28日、慶応病院で死去したが、声楽家としての磨きをかけて本領を発揮するのは、これからという時だった。
/徳山が東京音楽学校を出たのは1928(昭和3)年で、ちょうどビクターやコロムビアが日本吹込みを開始したばかりの時だった。当時できたばかりの武蔵野音楽学校の先生になったが、生活の設計にはいろいろ苦しみ、周囲の猛烈な反対を押し切ってビクターの専属歌手となった。
そしてレコード歌手のレベルを一気に引き上げ、自分の仕事も軌道に乗せた。こうしてレコードのごく初期にこの世界に飛び込んで、しかも終始一貫一社の専属として他社に動かず、十何年間のレコード変遷とともに生きてきた。
/第1回の吹込みは1930(昭和5)年で松竹映画の主題歌《叩け太鼓》、次が《撃滅の歌》(堀内敬三作曲)、1931(昭和6)年の《さむらひ日本》《るんぺん節》(いずれも松平信博作曲)で全国的に有名になった。
満州事変の時には《満州行進曲》(堀内敬三作曲)を歌った。
日中戦争前に官能的な流行歌の時代となったが、この時期、徳山は《天国に結ぶ恋》(松平信博作曲)や、勝太郎といっしょに《櫻音頭》を歌った。この頃の徳山は、ロッパと組んで盛んに芝居をやった。
日中戦争が起こってからは、《愛国行進曲》《日の丸行進曲》《大陸行進曲》《太平洋行進曲》を歌い、晩年には「トントントンカラリ」の《隣組の歌》を歌った。指導振りは誰にでも親しまれていたので、亡くなった直後、あちこちの隣組常会で故人の話題がしきりに出たという。
/徳山の声は実にきれいだと言われるが、声の寿命を長く保持するために禁酒・禁煙をしていた。そうした努力があってこそ、ベートーヴェンの《第九交響曲》と流行歌を同時に歌うことができたのである。
/今度の病気は、1941(昭和16)年11月に発病したのだが、同年2月には痔で入院しているから、全体に身体が弱っていたのかもしれない。しかし死ぬ前日にも、日ごろの洒脱な調子を失わずに歌っていたそうである。なんでも頭が痛いといって頭を叩いたのがいけなかったらしい。
/徳山は、さいきん音楽芸術への自覚を深め、声楽家として本腰を入れようとしていた。その一つの現われが《冬の旅》独唱会であった。ポスターやプログラムも全部自分で図案を考えたが、それが黒一色で、死んで行く徳山を予感されるようで縁起が悪い図案だった。
1941(昭和16)年に痔で入院したときには首相から見舞をいただいたし、この度はまた首相から弔問を辱うしている。
メモ:p.99に「徳山l略年譜」が掲載されている。
[142:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/04/17(Fri) 18:08)]
徳山lは、代々木上原駅前の古賀政男音楽博物館にも顕彰されている。
パソコンで選んで顕彰者のレコードを聞くことができます。
[143:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/04/17(Fri) 18:14)]
日の丸行進曲 (作詩・有本憲治 作曲・細川武夫)
ビクター 昭和 13 年 4 月 発売
唄・徳山 l/四家文子 中村淑子 波岡惣一郎 江戸川蘭子 能勢妙子
母の背中に 小さい手で
振ったあの日の 日の丸の
遠いほのかな 思い出が
胸に燃えたつ 愛国の
血潮のなかに まだ残る
梅に桜に また菊に
いつも掲げた 日の丸の
光あおいだ 故郷(くに)の家
忠と孝とを その門で
誓って伸びた 健男児
ひとりの姉が 嫁ぐ宵
買ったばかりの 日の丸を
はこぶ箪笥の抽斗(ひきだし)へ
母がおさめた 感激を
今も思えば 眼がうるむ
「愛馬進軍歌」
昭和14年3月発売 (作詞 久保井信夫 作曲 新城正一)
ビクター 徳山蓮・四家文子唄
くにを出てから 幾月ぞ
ともに死ぬ気で この馬と
攻めて進んだ 山や河
執(と)た手綱に 血が通う
昨日陥した トーチカで
今日は仮寝の たかいびき
馬よぐっすり 眠れたか
明日の戦(いくさ)は 手強いぞ
弾丸(たま)の雨降る 濁流を
お前頼りに のり切って
つとめ果たした あの時は
泣いて秣(まぐさ)を 食わしたぞ
[144:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/04/17(Fri) 18:27)]
豪快な「侍ニッポン」と、繊細で哀調を帯びた「天国に結ぶ恋」(四家文子)がある。いずれも西條八十作詞、松平信博作曲の名曲、(「天国に結ぶ恋」は、昭和7年伊豆の坂田山で実際に起きた慶応大生の心中事件をテーマにしたもので、両方とも変名)。
この対照的な二つの歌を聴き比べると、徳山の名歌手たるすごさがわかる。とても同じものが歌っているとは思えない。今のクラッシックの歌手が何でも大声を張り上げるのと比べ、とてもクラッシックの歌手とは思えない、言い方を変えれば本当のクラッシック歌手、いかに名歌手であったかがわかる。徳山lのレコード吹き込みは400曲ある。
古賀政男音楽博物館で、名歌手徳山lのレコードが聞ける。
[145:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/04/17(Fri) 19:13)]
徳山lは四家文子と多くの軍歌・軍国歌謡も多く歌っている。
満州行進曲、戦友、太平洋行進曲、愛馬進軍歌、・・
豪快な中に他と違う哀調を帯びている。絶品である。
特に愛馬進軍歌いい。
[146:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/04/17(Fri) 19:31)]
日本の軍歌は哀調を帯びていると言われる。
特にそうした軍歌を歌わせたら右に出るものがいない。他もそうだが。
日本の軍歌、特に昭和のそれが哀調を帯びているのは、日本の兵隊は
貧しい農村出身者特に東北など、が多いからとされる。
名歌手徳山lの歌うそれは、自由を謳歌し、飽食の物の有り余る戦後の街宣の上面をなぞるだけの空虚なそれとは当然の事ながら比べ物にならない。
豪快な満州行進曲、戦友、太平洋行進曲・・、哀調を帯びた愛馬進軍歌、日の丸行進曲・・
若くしてこの世を去ったこの名歌手が惜しまれてならない。
[147:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/19(Tue) 22:28)]
(取り戻そう日本の歌)日本の歌謡の歴史(日本の文化遺産)
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=589880538&ls=50
read.cgi ver.4.21.10c (2006/07/10)