新型コロナに「静観」「無関係」を決め込む東京五輪への失望
[1:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/02/21(Fri) 12:16)]
新型コロナに「静観」「無関係」を決め込む東京五輪への失望
小林信也 2020/02/21 06:00
© ダイヤモンド・オンライン 提供 東京2020組織委員会の森喜朗会長は、新型肺炎による「中止はない」と明言している Photo:JIJI
「中止はない」と強調する組織委
スポーツが“他の目的”に利用されている
新型コロナウイルスが大きな社会不安となり、連日の報道を頼りに国民それぞれが懸命に対策を講じている。しかし、こうした緊急的な事態の中にもかかわらず、東京オリンピック組織委員会は「静観」の構えを取り続けている。政府も東京オリンピックについては「開催」を前提に、踏み込んだ対策や姿勢を示していない。
2月14日にも組織委の森喜朗会長は「中止や延期はない」との方針を強調した。IOC(国際オリンピック委員会)のジョン・コーツ調整委員長も「日本の衛生当局を信頼している」と開催の構えを崩していない。
私はこうした対応からも、東京オリンピックがスポーツ哲学に基づくイベントでないこと、スポーツ本来の意義を醸成するための事業でなく、“他の目的”のためにスポーツが利用されているにすぎないという印象を残念ながら深めている。
オリンピックは、平和の祭典だ。世界の平和と人々の心身の健全育成を目的としている。つまり、世界の平和と健康を前提にしてこそ成り立つ祭典だ。
世界的に戦争状態であれば中止せざるをえない。過去にも中止されている。今回は新しいウイルスが深刻な障害だ。人々の健康が危険にさらされている中で、スポーツの祭典が強行される理由は認めにくい。
IOCも組織委も日本政府も、「世界中が病気だってやるんだ」と言っているようなもの。これがどれだけ本末転倒で傲慢か、自覚はないのだろう。
「オリンピックを開催すれば、コロナウイルスを撲滅できる」ならば、強行も歓迎されるだろう。だが、ウイルスに対してオリンピックは無力だ。むしろ、多くの人の移動や交流が蔓延を引き起こす可能性が真剣に案じられている。
IOCも組織委も「中止」の文字を発信する悪影響ばかりに配慮し、「中止の可能性を発信しないこと」によって自分たちを守ろうとしている。だがその姿勢によってむしろ彼らの魂胆が露呈し、「経済優先のオリンピック」への不信が募る現象を引き起こしてはいないか。
単純に言って、開幕予定の7月24日の時点でもしコロナウイルスの感染が終息していなかったら、「東京オリンピックの強行」を望む国民はどれだけいるだろう?
「粛々と実施の準備を進めるが、もし開催直前まで安全が確保できなければ、中止という選択も当然ありえる」
そう発信するのが、ごく当然だと思う。何を恐れて、IOCも組織委も「強行」の姿勢を崩さないのか、国民には理解できないはずだ。こうしている間にも、多くの国民は、「オリンピックより大事なものがある」という、現代の日本人がいままであまり認識したことのない新しい価値観に気づき、結果的に冷静なオリンピック観が少しずつだが育っている。
オリンピックへの崇拝や尊重がほかの何より強かった日本において、そうした冷静なスポーツ観の広がりは、それはそれで意義があると感じるが、当事者たちがオリンピックの価値を下げる世論形成に悪役的に加担する皮肉にも呆然とする。
[2:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/02/21(Fri) 12:21)]
数々のスポーツ国際大会が延期に
五輪だけが「実施」を主張する違和感
そもそも、「海外の選手たちが日本に来てくれるのか?」という声も高まっている。
2016年のリオオリンピックでも、ジカ熱の心配が広がり、参加を取りやめた選手たちがいた。とくにゴルフは、当時世界ランキング1位だったジェーソン・デイ(オーストラリア)らトップ4人が欠場した。日本の松山英樹も出なかった。テニスでも女子5位のシモナ・ハレプ(ルーマニア)らが辞退した。今回はジカ熱以上の影響が現実的に心配される。
このまま感染が広がれば、国内の医療施設の受け入れ能力をはるかに超える患者や相談者が病院に殺到し、通常の医療にも支障をきたす恐れさえ指摘されている。
2月18日には、入院患者の中に感染者が確認された東京都杉並区の佼成病院が「外来診療の休診」を発表した。すでにこのような、かつてない状況が起こっている。
「おもてなし」とキャッチフレーズをつけているが、東京オリンピックのため海外から来る来訪者たちの医療体制も確保できない。それでも強行する姿勢に国内外から疑問の声も高まるだろう。
スポーツへの影響も、具体的に起こっている。
まさに武漢で2月に開催予定だったボクシングの東京オリンピックアジア・オセアニア最終予選は3月に延期され、会場をアンマンに移した。3月に中国・南京で開催予定だった陸上の世界室内選手権は1年延期された。
国内でも、2月21日から千葉で開催予定だったバスケットボールの男子アジアカップ予選が延期、3月1日の東京マラソン「一般の部」は中止と決まった。東京オリンピックマラソンの最終選考会も兼ねるエリート部門だけで開催される。この決定に対して、「参加費の返還はしない」という発表に不満をもらす声はあるものの、中止に真っ向から異議を唱える人はほとんど見受けられない。コロナウイルスに対する深刻な認識が国民的に浸透している証しだろう。
こうしたスポーツイベント中止や自粛の動きは、コロナウイルスの感染が広がる限り続くと予想される。現実に、東京オリンピックの足元が揺らいでいる。それなのに、IOCや組織委ばかりが「実施」を強く主張し続ける。東京オリンピックがまるで「砂上の楼閣」のように見えてくる。
一体、誰のための、何のためのオリンピックなのか。
私は、オリンピックの意義、スポーツの目的を社会全体で共有すべきだとずっと願ってきた。いまは、皮肉にもウイルスによってだけれど、スポーツの社会的目的や位置づけを共有する好機と捉えてもいいのではないかと思う。しかし、日本政府にも、スポーツ庁にも、そのような意識も、改革の使命感も感じられない。
(作家・スポーツライター 小林信也)
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