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卒業研究(太宰治の研究)

[1:堀木 ◆X.e8/ucY (2013/07/21(Sun) 15:42)]
なんか連絡のためにこのスレを作ります。
荒らし禁止
個人情報流失禁止
問題が起きても責任をわたくしは一切持ちません
まさかここをほかの人が使っていたとは……


[65:太宰治君 ◆NQQGWHs6 (2013/08/05(Mon) 23:17)]
果して、無垢の信頼心は、罪の原泉なりや。
 自分は、人妻の犯された物語の本を、いろいろ捜して読んでみました。けれども、ヨシ子ほど悲惨な犯され方をしている女は、ひとりも無いと思いました。どだい、これは、てんで物語にも何もなりません。あの小男の商人と、ヨシ子とのあいだに、少しでも恋に似た感情でもあったなら、自分の気持もかえってたすかるかも知れませんが、ただ、夏の一夜、ヨシ子が信頼して、そうして、それっきり、しかもそのために自分の眉間は、まっこうから割られ声が嗄れて若白髪がはじまり、ヨシ子は一生おろおろしなければならなくなったのです。たいていの物語は、その妻の「行為」を夫が許すかどうか、そこに重点を置いていたようでしたが、それは自分にとっては、そんなに苦しい大問題では無いように思われました。許す、許さぬ、そのような権利を留保している夫こそ幸いなる哉《かな》、とても許す事が出来ぬと思ったなら、何もそんなに大騒ぎせずとも、さっさと妻を離縁して、新しい妻を迎えたらどうだろう、それが出来なかったら、所謂《いわゆる》「許して」我慢するさ、いずれにしても夫の気持一つで四方八方がまるく収るだろうに、という気さえするのでした。つまり、そのような事件は、たしかに夫にとって大いなるショックであっても、しかし、それは「ショック」であって、いつまでも尽きること無く打ち返し打ち寄せる波と違い、権利のある夫の怒りでもってどうにでも処理できるトラブルのように自分には思われたのでした。けれども、自分たちの場合、夫に何の権利も無く、考えると何もかも自分がわるいような気がして来て、怒るどころか、おこごと一つも言えず、また、その妻は、その所有している稀《まれ》な美質に依って犯されたのです。しかも、その美質は、夫のかねてあこがれの、無垢の信頼心というたまらなく可憐《かれん》なものなのでした。
 無垢の信頼心は、罪なりや。


[66:太宰治君 ◆NQQGWHs6 (2013/08/05(Mon) 23:17)]
この引用からわかるように主人公と堀木の罪のとらえ方は根本にある部分から異なっている。そしてその違いこそ主人公が「欺きあっていながら清く朗らかに生きて行ける」人間を難解だと感じる原因でもあった。堀木が考える罪の案とA有無は法律であり、それ以上のものではない。彼にとって罪とは「縄目の屈辱」を受けることでしかないのだ。
然し主人公が考える罪とはそんなに簡単なものではなかった。彼は言葉遊びの中で罪とは何か必死に考える。それはすなわち自分の道化の下にある素顔の正体を探る行為であったといえよう。そして主人公は罪と罰はシノニムではなくアントニムではないかと考え始める。然しこの場面において重要なのは罪の正体を明らかにすることではなく罪について真剣に深く考える主人公の姿にある。主人公は言葉遊びによって主人公自信と堀木をはじめとする世間の人間との罪に対する考えの違いを目の当たりにする。そしてほかの人間は罪に対して必死に考えることなどしないことに気が付くのだ。この問答の後主人公は彼女の姦通事件の目撃者となるのだ。主人公が姦通事件で最も怒りを覚えたのは彼女でもなく商人の小男でもなく堀木であった。なぜ「最初に見つけたすぐその時に大きい咳払いも何もせずそのまま自分に知らせにまた屋上に引き返してきたのか」主人公の堀木に対する憎しみと怒りは夜も眠れないほどであった。堀木は犯されている彼女を助けるわけでもなく主人公にありのまま伝えた。


[67:太宰治君 ◆NQQGWHs6 (2013/08/05(Mon) 23:18)]
この行為によって主人公画すさまじい恐怖に襲われることに気づきもしなかったのだ。堀木は自分の犯した罪に気付かないからこそ「気まずい場所に長くとどま」らず主人公の前から姿を消すのである。堀木は世間の代表的な人物である。堀木との言葉遊びと罪の正体を探る問答、そして彼女の姦通事件によって主人公は人間が生まれながらにしてもつ罪、つまり原罪に気付く。今までの犯人意識や日陰者意識は自分の原罪であったのだ。そして自分が罪深き存在であることを告白することで世間の人間が原罪に気付かず生活している罪を暴いたのだ。原罪は人間の誕生から備わっている、その罪に気付かないことこそ罪である、と。原罪を自覚した主人公にとって彼女の姦通事件は宿命的であったといえる。なぜならつみを自覚していない者のところに罰はくだらないからだ。いいかえると罪を自覚していないものは罰も自覚していないということになる。つまり世間の人と主人公の不幸とでは次元が違うのである。世間の不幸というのは原罪など全く気が付いていない人たちの中での不幸である。だから世間に受け入れられ救われるかもしくは罰を受けるのである。然し主人公が感じる不幸とは原罪に気付いているからこそおこる不幸である。そのため世間に受けいれられることはない。主人公は原罪に気付いたゆえに世間から排除され続ける存在となる。つまり世間の排除という罰を受けるのである。主人公にこの罰を逃れる方法はなかった。主人公は世間で生き続ける限りずっと罰を受け続けなければならないのだ。だから主人公は絶対者を求める。自分を完ぺきに罰してくれる存在を、すべてを受け入れて許容してくれる存在を。まるで母のように。然し主人公の前に絶対者が現れることはなかった。


[68:太宰治君 ◆NQQGWHs6 (2013/08/05(Mon) 23:18)]
彼女の姦通事件の後主人公の生活はさらに荒れていく。焼酎を浴びるほど飲む毎日を送っていた主人公はある大雪の夜に最初の喀血をする。しゃがみこんで雪で顔を価ながらあいた主人公の行為は自分の生まれた時から存在する罪のせいで不幸から逃れられない悲しみが表れている。
喀血の後主人公は薬屋に立ち寄り足の不自由な女性と出会う。彼女もまた不幸な女性であった。そしてこの女性の死し眼で主人公はモルヒネを使用するようになりたちまち中毒者になる。家と薬屋を往復する毎日を送る主人公はいよいよ追い詰められていく。
「けがらわしい罪に浅ましい罪」、「生きているのが罪の種」、このような表現から主人公が自分の原罪をしっかりと認識していることがわかる。またその原罪を意識している限り自分は幸福にはなれないのだといっている。主人公が自殺をしようとひそかに決めたその時またも堀木が現れる。堀木の優しい微笑に完全に打ち破られた主人公が最終的に連れて行かれた場所が脳病院だった。
脳病院に入れられる場面で初めて人間失格の言葉が使われる。狂人でも廃人でもなく失格するとはどういう意味を持つのだろうか。
まずここでいう人間とは何を言うのか考えてみたい。『人間失格』の中では人間という言葉は多く使用されている。そして人間の言葉が使われるときに共通しているのは主人公が人間の一員として描かれず一線を引いて人間を見ていることだ。また人間失格の中では人間にかっこが使われている場合とそうでない場合がある。カッコつきで出すことはそれまで作中で積み重ねてきた人間観念に対する一つの整理とそれへの批評が存在するのではなかろうか。つまり主人公にとって人間とは理解しがたい「欺きあっていながら清く明るく朗らかに生きている」人間のことを指す。すなわち堀木を代表とする世間である。これらのことから人間失格は(人間)失格と言い換えることができる。


[69:太宰治君 ◆NQQGWHs6 (2013/08/05(Mon) 23:18)]
それではなぜ主人公は「人間」失格となったのか。私はこれまで主人公と「人間」の最大の違いは自らの原罪を自覚しているか否かだろ述べてきた。このことは『人間』失格の道をたどる理由の一つであるが決定的な理由はほかにあると考える。なぜなら主人公は不幸になってゆく自分に対して自殺は考えていたが「人間」失格だと下すことはなかった。また主人公にとって死とは「幸福を与える」ものと考えていた。自殺することによって現在から逃れ楽になりたいと考えていたのではないだろうか。
「人間」失格に至った決定的な理由は何か。それは絶対者の欠落だと考える。この絶対者とは絶対的な「罰」を与えるものと絶対的な「許し」を与えるものを意味する。主人公は原罪を意識することにより世間から排除される存在となった。生まれた時から罪人でありその罪からは逃れることができない。だから主人公は「神の罰は信じられても神の愛は信じられない」のだ。主人公は「罪人=罰を受けるもの」という「絶対的な世界」に生きていたといえる。然し主人公を裁くのはいつも世間であった。この世間とは堀木が代表する可変的な世間のことを指す。この世間において罪と罰は極めてあいまいな関係にあった。そのため主人公が罪について問答するときに答えが見つからなかったのだ。世間において罪と罰はアントニムとのシノニムとも考えることができる。
「絶対的な世界」に生きている主人公にとって自分を完全に罰する存在が不在であることは耐えられないことであった。世間は主人公を排除しようとするが完全な罰を与えることはなかった。主人公にとって(ものすさまじい恐怖)を感じた彼女の姦通事件でさえ犯されたのは彼女であり同時に彼女の「無垢な信頼心」を脅かすものであった。


[70:太宰治君 ◆NQQGWHs6 (2013/08/05(Mon) 23:20)]
道化とは主人公の存在証明をするもので道化は主人公そのものであったと述べた。然し自らの原罪に気付きことで主人公の存在証明は「罪を犯している」と実感することだったように考えられる。そんな主人公にとって自分の罪を罰する絶対的な存在が不在であることはすなわち自分の存在証明をすることが不可能であることを意味する。なぜなら罪とは罰を受けてこそ罪となりうるからだ。彼女が犯されたことで主人公が何度も神に問いかける場面がある。主人公は何度も神に問いかけることで絶対者が現れることを望んでいたのだ。
話は前に飛ぶが主人公のところに堀木とヒラメが来て慈悲深い口調で彼を自動車に乗せ脳病院に送り込んだ。これは詐欺的な行為である。然し私はわざわざそんなことを言いたいのではない。問題は主人公の人となりからしてそう素直に顔をそむけて泣いたり、完全に打ち破られ葬られたりしないのに、そのような行為に及んだことである。たぶん主人公は自らの存在証明をしてくれる絶対者がついに現れたと思ったのではないか。二人の性格からして似合わない行為、それをしたことで主人公は勘違いをしたのである。然し実際は脳病院であった。主人公は世間から、今まで直接的に失格者だと断定されていなかったのに世間から「狂人」というレッテルを張られてしまった。
主人公は脳病院に入れたれ人間失格となった後故郷に帰る。然し主人公を待っていたのは『かなり古い家らしく壁は剥がれ落ち柱は虫に食われほとんど修理のしようもないほどの
茅屋で老女中のテツとともに暮らし始める。主人公の手記は次のように締めくくられる。
「いまは自分には、幸福も不幸もありません。
 ただ、一さいは過ぎて行きます。
 自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
 ただ、一さいは過ぎて行きます。
 自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。」


[71:太宰治君 ◆NQQGWHs6 (2013/08/05(Mon) 23:20)]
主人公にとって人間の世界、つまり世間はすでに過去のものとなってしまったことがわかる。幸福や不幸というのは世間に生きる人間が感じるも尾である。しかもその幸福、不幸というのはひどく曖昧で人間個人個人によって異なる相対的なものである。主人公は世間から排除されることによって「ただ、一さいは過ぎて行きます。」という心理にたどり着いた。可変的な世間に絶対者を求めた主人公の願いは世間にいる限り満たされることはなかった。その主人公が世間から排除されたった一つ真理と思われたもの。絶対と思われたものは時間であったのだろう。
「阿鼻叫喚で生きてきた」世界においても時間だけは絶対に平等に過ぎてゆく。時間のみが絶対であった。
二十七歳になるが四十歳以上にみられるというのは人間失格となったのが、すなわち病院にぶち込まれたのが二十七歳の時であって実年齢は四十歳なのではないか。
事実太宰治が同様に病院に入れられたのが27歳の時であって、死んだのは39歳の時なのである。

D)あとがき
あとがきでマダムはこう語る。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
バアのマダムのこのセリフで作品が結ばれているのには大きな意味がある。恐らくこの言葉は主人公もしくは太宰の願いであった。「神様」には主人公が求めた絶対者という意味がある。だから太宰は「神様みたいないい子」という言葉を使いお酒を飲む主人公も薬におぼれる主人公もどんな主人公も変わらぬ愛で包み込んでやるのだ。主人公は人間を軽蔑しながらも誰よりも人間を愛した。世間はその愛を受け止めることができなかったが最後のマダムの言葉で主人公の愛は受け止められ初めて救われるのだ。


[72:太宰治君 ◆NQQGWHs6 (2013/08/05(Mon) 23:21)]
E)参考資料:太宰治の年表
年代 太宰治の出来事
1909 6月19日太宰治誕生。青森県北津軽郡金木村
大字金木字朝日山414に父津島源右衛門、母タ子(たね)
の六男としてうまれる。11人兄弟の中で10番目。本名津島修治。当時津島家は県下屈指の大地主で父は地方名士として活躍。
1916 7歳。4月金木第一尋常小学校入学。成績優秀。
1923

3月父が貴族院議員在任中に東京で死去。4月青森県立青森中学校に入学。青森市内の遠縁の家より通学。
1925 このころより作家を志望、級友との同人雑誌に小説、戯曲、エッセイを発表。また兄弟だけの雑誌も作られる。
1927 4月中学四年修了で弘前高等学校文科甲類に入学。芥川龍之介の自殺に大きな衝撃を受ける。9月、青森の芸妓小山初代と知り合う。
1928 5月同人雑誌「細胞文芸」を創刊し、辻島衆二の筆名で『無間奈落』を発表(未完)。井伏鱒二、舟橋聖一らの寄稿を得る。
1929 共産主義に強く影響され11月『地主一代』を執筆し始めたが12月途中で自己の出身階級に悩んでカルモチン自殺を図る。
1930 3月弘前高等学校を卒業。4月東京帝国大学仏文科に入学。5月井伏鱒二に初めて会い以後師事する。7月『学生群』を青森地方の同人雑誌「座標」に発表。このころより非合法運動に関係。秋、小山初代が上京してきたが、長兄が話をつけ、初代はひとまず帰郷。11月銀座裏のカフェの女給で夫のある田部シメ子を知り、3日間いっしょにすごしたのち、鎌倉郡腰越町小動崎(こゆるぎさき)でカルモチン嚥下。女のみ死亡し、自殺幇助罪に問われたが起訴猶予となる。
1931

1931 2月再び上京してきた小山初代と同棲。この年、反帝国主義学生同盟に加わり非合法運動を積極的に続け、また朱麟堂と号して俳句に凝るなどで、大学にはほとんど出なかった。
1932 春、非合法運動のため、転々と居を移す。6月、同棲以前の初代の過失を知りショックを受ける。7月非合法運動を放棄し青森警察署に自首、1か月留置される。このころから『思い出』を書き始める。12月青森検事局から呼ばれて出頭。
1933 2月初めて太宰治の筆名を用いて『列車』を「サンデー東奥」に発表。3月古谷綱武、今官一、木山捷平等の始めた同人雑誌「海豹」に参加し創刊号に『魚服記』を発表。このころ、壇一雄、伊馬鵜平、中村地平らをしる。4月『思い出』
1934 12月壇一雄、木山捷平、中原中也、津村信夫、山岸外史等と同人雑誌『青い花』を創刊。創刊号だけで廃刊となり翌10年3月「日本浪曼派」に合流。4月『葉』、7月『猿面冠者』、10月『彼は昔の彼ならず』、12月『ロマネスク』


[73:太宰治君 ◆NQQGWHs6 (2013/08/05(Mon) 23:24)]
1935 2月『逆行』を「文藝」に発表。同人雑誌以外に発表した最初の作品である。3月都新聞社の入社試験に落ち、鎌倉で縊死を企てたが失敗。東大を中退。4月盲腸炎で入院。手術後腹膜炎をおこし鎮痛のため使用したパビナールのため以後中毒に悩む。8月『逆行』が第一回芥川賞候補となったが次席。佐藤春夫を知り、以後師事する。この年京城にいる田中英光と手紙による交友関係が始まる。5月『道化の華』、7月『玩具』、『雀こ』、8月『もの思う葦』、9月『猿ケ島』、10月
『ダス・ゲマイネ』、12月『地球図』
1936 2月パビナール中毒が進行し、芝の済生会病院に入院するが全治しないまま1か月足らずで退院。6月砂子屋書房より処女創作集『晩年』を刊行。8月パビナール中毒と肺病治療のため赴いた群馬県谷川温泉で第三回芥川賞落選を知り打撃を受ける。10月井伏鱒二らの勧めにより江古田の武蔵野病院に一か月入院し、パビナール中毒を根治する。1月『碧眼托鉢』、『めくら草紙』、4月『陰火』、5月『雌について』、7月『虚構の春』、10月『狂言の神』、『創世記』、『喝采』
1937 3月小山初代と水上温泉でカルモチン自殺を図ったが自殺未遂、帰京後初代と別れる。この年から翌年にかけて時折エッセイなどを書くほかほとんど筆を絶つ。1月『二十世紀旗手』、4月『HUMAN LOST』、10月『燈籠』、『虚構の彷徨、ダス・ゲマイネ』、『二十世紀旗手』短編集
1938 7月ようやく沈滞から脱し『姥捨』を書き始める。9月山梨県御坂峠の天下茶屋に行き長編『火の鳥』の執筆に専念したが結局この小説は未完に終わる。11月井伏鱒二が親代わりになって石原美知子と婚約。9月『満願』、10月『姥捨』
1939 1月井伏家で結婚式を挙げ甲府市御崎町の新居に移る。4月『黄金風景』が「国民新聞」の短編コンクールに当選。9月東京府三鷹村下連雀113に転居、終戦前後を除き死ぬまでここに住んだ。2月『富嶽百景』、3月『黄金風景』、4月『女生徒』、『懶惰の歌留多』、6月『葉桜と魔笛』、8月『八十八夜』、10月『畜犬談』、11月『おしゃれ童子』、『皮膚と心』、『愛と美について』、 
『女生徒』
1940 12月第一回「阿佐ヶ谷会」に出席、以後もこの会合にしばしば出る。この年、単行本『女生徒』が第四回北村透谷賞に選ばれる。
1941 2月懸案の長編小説『新ハムレット』の執筆をはじめ、5月完成。6月長女園子誕生。8月十年ぶりに郷里金木町に帰る。9月太田静子が友人とともに初めて太宰家を訪問。11月文士徴用を受けたが胸部疾患のため免除される。
1月『清貧譚』『みみずく通信』『東京八景』『佐渡』6月、『千代女』11月『風の便り』12月『誰』『東京八景』短編集『新ハムレット』書き下ろし長編『千代女』短編集『駆け込み訴え』限定版
1942 10月『花火』を「文藝」に発表したが時局に合わないという理由で全文削除を命じられる。12月母死去、単身帰郷。1月『恥』5月『水仙』『風の便り』短編集『老ハイデルベルヒ』『正義と微笑』書き下ろし長編『女性』短編集『文藻集信天翁』エッセイ集
1943 3月に甲府に赴き前年末より執筆中の書き下ろし長編『右大臣実朝』を完成。10月『雲雀の声』を完成したが検閲不許可の恐れがあるため出版を延期。翌年ようやく出版の動きとなったが印刷所が空襲にあい発行間際の本が焼失。20年に発表された『パンドラの匣』はこの作品の校正刷を基に執筆されたものである。1月『故郷』『禁酒の心』6月『帰去来』『富嶽百景』短編集『右大臣実朝』書き下ろし長編
1944 5月『津軽』執筆のため津軽地方を旅行。8月長男正樹誕生。12月情報局と文学報国会の依頼で『惜別』を書くため仙台に赴き魯迅の仙台在留当時のことを調査。


[74:太宰治君 ◆NQQGWHs6 (2013/08/05(Mon) 23:24)]
とこんな感じです。
バドミントン部、資料の提出をお願いします。


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