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平氏と源氏どちらが凄い

1 名前: 投稿日:2013/01/07(Mon) 13:45
みんな意見を。

2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/01/13(Sun) 23:14
源氏も平氏も、もとは天皇家の子孫です。
かつては安定した皇位継承のために多くの皇子をもうけられていましたが、実際に皇位継承を出来る皇子はごく少数に限られますから、当然、皇位継承の道を閉ざされた皇族が多数発生することになります。
それはもう、ねずみ算式に(笑)。

しかも、これらの皇族に対して律令…つまり法律で一定の所得が与えられていましたから、これまた当然に財政を圧迫する一因となるわけです。
そこで、これを解消すべく行われたのが臣籍降下。皇位継承の可能性がなくなった皇族たち(歴代天皇から一定の距離を経た者)に姓を与え臣下の籍に下ろすということですね。その際に与えられたのが源・平・藤原・橘―いわゆる「源平藤橘」の四姓。

この臣籍降下は皇族自らが求める場合と、一方的に降下させらる場合があったようです。
まぁ、少なくても後者に至っては朝廷の財政事情と連動していたことは間違いないでしょう。「台所事情が苦しいから自活して」ってことですね。
一応、一、二代ほどは上流貴族として朝廷での地位を保証されているようですがが、朝廷内も競争社会なので三代以降は殆どが地方へ下向し、そのまま土着して武士や豪族へとなったようです。



3 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/01/14(Mon) 10:38
源氏と平家の潰し合いは清盛vs義朝・頼朝。
そして清盛亡き後の平家一門vs頼朝・義経が注目されますね。
だけど、もっと昔から近世まで繰り広げられたんですね。

潰し合いの理由@
源氏も平家も皇族から臣籍に降下して生まれた氏族(清和源氏や桓武平氏など)ですから、言わば臣籍筋に当たる上に同格だから、朝廷内で出世するにも、地方豪族として領地を広げるにも競争相手になりがちだったから。

理由A
朝廷内の勢力争いに巻き込まれたり、自ら介入したりする形で、時には共に戦い、時には敵対しながら武門の棟梁の位置を争奪しあう関係になっていったから。(前九年・後三年の役や、下って保元・平治の乱など)

理由B
平治の乱で源氏の棟梁だった義朝が敗死し、頼朝も伊豆に流され、没落した源氏にとって平家は打倒の目標になったから。

理由C
「平家にあらずんば人にあらず」と言われたくらい朝廷も世の中も支配した平家を打倒しようとする側(反主流派:公家・武家とも)にとって、源氏が旗印に最適だったから。

理由D
壇ノ浦の戦いで源氏が平家を滅ぼして幕府も開くけれど、関東武士団(北条氏は平家)にとって将軍が傀儡であった方が都合が良く、実権を握る(執権など)ために源氏嫡流(頼朝・義家・実朝)は邪魔だったから。



4 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/01/14(Mon) 10:38
「源氏と平家の潰し合い」は、初めは出世争いや勢力争いでした。それがやがて政権交代に発展していきます。
「政権は源氏と平家で交替していくものだという朝廷の前例というか、「常識」にまでになりました。
政権のレベルでは、平清盛→源頼朝→北条(平)→足利(源)→織田(平)→徳川(源)という具合です。
ちなみに、一般的に運動会が赤組と白組の対抗戦形式だったのは、赤が平氏の旗印、白が源氏の旗印だったことに由来しています。



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