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国民の権利を奪い、その命を短くする権利は、誰にもない

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/01/20(Fri) 10:15
政府与党の国会議員の若い元M安保委員が「国民には権利は入らない」
と言い出してから今日まで、「国民の命を粗末にする」言動がなんと
多くなった事だろう。そして、この政府に迎合する国民が出てきて
「障害者を早く死なせる手紙」を政府に手紙を出し事件を起こした。
政府はこの手紙を国民に公表しなかった。これは、この犯人の行動を
事前に知っていながら放置したに等しい。

「障碍者の生きる人権は障害者にある。」
他の誰のものでもない。親は子の笑顔が見られれば障碍者でも生き
ていて欲しい」と思っているのだ。人の命を他人が短くする権利は
誰にもない!

この政権が「武力行使」を旗印にしだしてから「人権無視」の発言が多くなった。
日本国は「日本国民の国」であり、天皇が「日本国憲法できちっと
国民を守る権利法」として決めている。であるから、どんな政府でも
「この憲法に手出しはならない」「政権のための憲法ではない」
政府は公務員であり「任務としては99条「日本国憲法を遵守する
義務がある」のである。
こういう「過去に他国から恨みを持たれている独裁政権」では、日本国の
未来はない。国民は不安に陥り、国民に幸せは来ない」ではないか?


2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/01/20(Fri) 10:29
「人の命を勝手に縮める」人間は他にもいる。
家族で見ないのに、何の権利があって勝手に家族の命をわが物のよ
うに軽視し縮めるのか?
家族も無視し、勝手に命を奪うものは「殺人犯罪行為」ではないか?
家族は、「どんな状態でも少しの笑顔と進歩があればそれだけで
嬉しいのだ」「大切な人の命」を勝手に奪うな!
他人のものと、自分のものの見分けがつかない人間は組織の上には
立てない。隔離するべきではないか?

3 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/01/20(Fri) 10:31
↑2行目訂正
「家族で見ない」は「家族でもないのに」に訂正

4 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/01/20(Fri) 12:40
「大切な家族を突然失った人は多い」
こういう人は、突然脳を切られたようなショックを味わい、
悲しみに明け暮れ、心が嘆くので身体も弱ってくる。
「突然死」が人の手によって行われたら、悲しみは
「恨み憎しみ」に変わる。「人の命を他人がはく奪する」など
してはならない極悪人のすることだ。まったく、納得のいかない
事が今の世に起こるのは「お手本とする政権与党の姿勢が国民の
命を軽視しているからではないか?
年金を減額してろうじんを餓死させる政策が、「老人の命軽視」
である。その「年金減額」のために、若い者が親に仕送りをせねば
ならなくなっている。あるメデイアは「若い者のために老人の年金を減らせ」
と政府を先導した。どこが若い者のためにだ?逆に「親に仕送りしなければ
ならなくなった」ではないか!嘘で固めた「老人の権利はく奪」は
「命のはく奪」であり、若い者の出費を増やし、暮らしを困窮させる
だけではないか!
こういう、「国民虐待政策」をメデイアと組んでやっている政府こそ
共謀罪に値するのではないか?まったく、今の自民党は昔の自民党ではなく
「虐待癖のある者に仕切られている」張り子のトラではないか?
「日本国で人情のない政党は政界にいれてはならない」のではないか?


5 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/01/25(Wed) 13:34
障碍者殺人事件に見える、「他人の家族の命を、勝手に縮めた者」が「勘違い
だった」という「言い訳は絶対に通らない」殺人に「性善説は無い」言い訳は
自分をかばっていて、被害者が無くした命をよみがえらせるものでは無い。
「勘違いで他人を殺す権利はどこにもない」勘違いであっても、殺人は許されない。
しかも「謝罪も無い」のでは、これも罪である。「罪を隠蔽しているからだ。」
謝罪がないから、いつまでたっても「恨み」が消えない。

人を殺したものは、芯から謝罪するべきだ。これがないから永久に続く。
悪い方が謝るのは当たり前だ。しかし、今は 悪い法が威張っていて謝罪
しなくてもいいと思っている者がいる。この者達は「反対に攻撃してくる」 
悪事をばらされたくなくて正当化するために逆襲しているのだ。
「罪を帳消し」にしたいからであろう。人間の風上にも置けない人格である。
昔は、罪を隠すのは武士の恥だといって、謝罪をしたものだ。明治維新からこっち
この「罪を隠すのは武士の恥」の良心重視が消えている。
明治維新政府のトップが犯罪者であり、これを消すためにさらに寺の過去帳消し
のために堂々と寺を焼く行為を全国で起こしたから、「罪の意識」が無くなっている
世相になってきているのだ。政権が「人間の命を軽視する「武力行使法」を可決したからだ。
若者に与える影響は大きい。大戦の敗戦により、「命の尊厳を大事にしてきた
70年間」をこの法が「台無しにした」といえる。
さまざまな政策をしても「根本が「命軽視」では、何の政策も失敗である。
政権を担うものの「倫理観を正す」べきである。
を堂々と
「罪は帳消しには出来ない」孫子他人までに知らせるからである。
命を軽視する者が「勘違いでした」と簡単にいうのは「命の軽視」であるから
許しては同じ人間がが育つからである。勘違いでごまかして済む問題ではない。
孫子末代まで恨みは残り、後世まで恨み合戦になってしまう。
「命の軽視」は、自衛隊員を簡単に他国紛争に参加させ命の危険に合わせている
政府にも見える。
お手本であるべき政権が「命の軽視政策」を平気でしているのは、「自衛隊員を
わが物」にしているからである。人の子供を預かっている政権や防衛相が「退院の
命を私物扱いする権利は無い」あくまで、他人の子である。自分の子ではないではないか?
こういう、他人の子でも命を自由にしているお手本だから、他の組織でもそういう
考えの者が出て来るのだ。それが、障碍者大量殺人事件ではないか!他人の命であるのに
自分が殺してもいいとおもっている。誰が指導したのか?
他人の命を消す権利は誰にも無い。あったらそれは罪である。
最近は「命の尊厳に対して「罪の意識のない者が多い。」
あくまで罪は罪である「殺人罪」である意識が無い者には、命を預けられない。
そういう人間がいたら、通報し命を預けられなくするべきだ。
失敗は誰にでもあるが、「根本に国民の命はわが物」と思ている者は、失敗ではなく
意識して殺人しているのだ。こういう、他人の命を自由にわが物のように
扱う組織には、監視体制が必要だろう。それでないと、国民は安心して仕事もできないから、
彼らがいる限り「安心した暮らしは成り立たない」ということだ。
国のそこかしこに潜んでいる「他人の命の期限は自分が決める権利がある」と
いう考えは、自民党議員の「国民に行きつ権利は無い」がごとしの発言をした
者を政府が野放しにしているからである。若者は「そーなんだ」命を軽視しても
政府はお咎めないのか?」と不満が充満している。だから「障碍者大量殺人者を
出したのであるから、政権及び与党の「国民の権利擁護の姿勢」を正すべきである。

6 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/01/27(Fri) 04:47
障碍者殺傷事件の犯人は、障碍者を自分が殺す権利があるとでもいうのか?
障碍者差別をしていたと自白したらしい。
人種差別的が殺傷者を産むから、人間が人間を勝手に裁くようなことはしたらいけない。自分は
今後「殺人者」というレッテルを貼られ差別されて生きねばなんらなくなるから。

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