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昭和SPレコード歌謡番組を待望する。

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/12(Sun) 20:30
昭和は60年を超える世界で一番長い年号。まだ日本が貧しかった、貧しくも心豊かだった時代。まだテレビもなく、どんな小さな街にも小さな映画館があったころ、日本映画黄金時代、昭和戦前の「古賀メロディ」などSP歌謡番組をぜひ期待。


2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/12(Sun) 21:56
<古賀メロデーの抒情歌>

影を慕いて(古賀政男)
丘を越えて(島田芳文)
月の浜辺 (島田芳文)
ハイキングの唄(島田芳文)
夕べ仄かに(島田芳文)
人生の並木路(佐藤惣之助)
白い椿の唄(佐藤惣之助)
さらば青春(佐藤惣之助)
誰か故郷を想わざる(西条八十)
あの花この花(西条八十)
青い牧場(サトウハチロー)
故郷の白百合(サトウハチロー)
雲のふるさと(大木敦夫) 国民歌謡
やすらいの歌(百田宗冶)  国民歌謡、ラジオ歌謡
ピレネーの山の男(西条八十)
りんどう峠(西条八十)


3 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/12(Sun) 22:04
☆藤山一郎代表曲(古賀メロディ)

キャンプ小唄 (島田芳文作詞、 古賀政男作曲)  1931年 7月
酒は涙か溜息か (高橋掬太郎作詞、古賀政男作曲)  1931年10月
丘を越えて   (島田芳文作詞、 古賀政男作曲)  1931年12月
スキーの唄  (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1932年1月
鳩笛を吹く女の唄(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)1932年2月 井上静雄名
影を慕いて   (古賀政男作詞、 古賀政男作曲)  1932年3月
東京ラプソディ (門田ゆたか作詞、古賀政男作曲)   1936年7月
東京娘    (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年6月 (映画「東京ラプソデー」挿入歌)
さらば青春  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年7月
男の純情   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年8月
大洋の寵児  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年10月
旅の鴎(かもめ)(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)  1936年10月
回想譜(今城靖児作詞、古賀政男作曲) 映画「女の階級」挿入歌1936.12
青春の謝肉祭  (島田欣也作詞、古賀政男作曲)   1936年12月
聖処女(きよおとめ)の唄(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)1937.1(日活「検事とその妹」挿入歌)
青い背広で  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1937年2月
青春日記   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1937年2月
白薔薇は咲けど(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1937年5月
青春旅情   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1938年3月
歓喜の丘   (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1938年3月
白虎隊     (鈴木吟亮 詩吟)(島田磐也作詞、古賀政男作曲) 1937.11
なつかしの歌声 (西條八十作詞、古賀政男作曲)(二葉あき子) 1940.5
春よいづこ   (西條八十作詞、古賀政男作曲)(二葉あき子) 1940.5
働こうぜ友よ  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)       1941.3
歌えば天国  (西條八十作詞、古賀政男作曲)(古川ロッパ、二葉あき子)1941,7
崑崙(こんろん)越えて(大木惇夫作詞、古賀政男作曲)     1941,7
リンゴが紅い (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)(古川ロッパ、松原 操)1941.8
青い牧場    (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)(奈良光枝) 1943.2
(これ以降、藤山一郎は南方慰問に駆り出され、終戦を迎え抑留となる。)



4 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/12(Sun) 22:18
☆関種子の代表曲(古賀メロディ)

乙女心    鹿山鴬村作詞、古賀政男作曲    1931.6
博多小夜曲  西岡水朗作詞 古賀政男作曲    1931.8
窓に凭れて  島田芳文作詞 古賀政男作曲     1931.12
南海小唄   島田芳文作詞 古賀政男作曲  1932.1
日本橋から  浜田廣介作詞、古賀政男作曲 1932.3
青春図会(ずえ)の唄(貞子の唄)  菊池 寛作詞 古賀政男作曲  1931.11
金色夜叉(お宮の唄) 佐藤惣之助作詞 古賀政男曲 1932.1
美わしの宵 島田芳文作詞、 古賀政男作曲    1932.1
嘆きの夜曲  西岡水朗作詞, 古賀政男作曲   1932.2
秘めたる恋  佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲    1932.3
あけみの唄  原阿佐緒作詞、 古賀政男作曲   1932.5
かた思い   浜田廣介作詞 古賀政男作曲   1932.6
笛は冴ゆれど 佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲   1932.7
朝顔の唄   佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲    1932.7
さらば上海 時雨音羽作詞、古賀政男作曲     1932.7
愛は紅い 佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲   1932.10
去りゆく影 西條八十作詞、古賀政男作曲    1932.12
初恋の唄  西條八十作詞、古賀政男作曲    1933.3




5 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/12(Sun) 22:25
☆霧島昇代表曲(古賀メロディ)

誰か故郷を想わざる 西條八十作詞 古賀政男作曲(1940):
新妻鏡       佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 霧島昇,二葉あき子 (1940)
目ン無い千鳥     サトウハチロー作詞 古賀政男作曲 ミス・コロムビア (1940)
相呼ぶ歌      西條八十作詞 古賀政男作曲     菊池明子    1940
そうだその意気   西條八十作詞 古賀政男作曲     松原操・李香蘭 (1941)
勝利の日まで    サトウハチロー作詞 古賀政男作曲        (1944)
麗人の歌      西條八十作詞 古賀政男作曲                (1946)
旅役者の唄     西條八十作詞 古賀政男作曲                (1946)
旅の舞姫      西條八十作詞 古賀政男作曲     二葉あき子 (1948)
三百六十五夜  西條八十作詞 古賀政男作曲     松原操 (1948)
あの夢この歌  西條八十作詞 古賀政男作曲     二葉あき子 (1948)
白虎隊 台詞:鈴木吟亮 島田欣也作詞 古賀政男作曲 (1952)
ギター月夜   西條八十作詞 古賀政男作曲(1952)
湖畔のギター b野村俊夫作詞 古賀政男作曲  (1954)



6 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/12(Sun) 22:29
☆ディックミネの代表曲(古賀メロディ)

恋は荷物と同じよ (瀬川与志=サトウハチロー作詞、古賀政男作曲) (川畑文子)1935.6
望郷の唄  (島田磬也作詞、 古賀政男作曲) 1935.7
二人は若い (玉川英二作詞、 古賀政男作曲) 1935.10(星玲子)
波止場がらす(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1935.10
夕べ仄かに  (島田芳文作詩、 古賀政男作曲) 1935.11
ゆかりの唄   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1935.11(台詞:星玲子)
白衣(びゃくえ)の佳人の唄 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936.3
愛の小窓    (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936.10
人生の並木路 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1937.1(テイチク1200)
ギターに寄せて (星野貞志作詞、 古賀政男作曲) 1937.5
恋のハワイ   (吉本英夫作詞、 古賀政男作曲) 1937.12
黄河の月 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)(三根耕一名)1938.7
弥次喜多道中記 (古賀政男作詞 、 古賀政男作曲) (楠木繁夫)  1938




7 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/12(Sun) 22:36
☆楠木繁夫代表曲(古賀メロディ)テイチク

国境を越えて   佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 1934
男のまごころ   佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 1935
白い椿の唄    佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 1935
ハイキングの唄  島田芳文作詞  古賀政男作曲 1935
緑の地平線    佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 1935
慈悲心鳥の唄   佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 1936
女の階級     村瀬まゆみ作詞 古賀政男作曲 1936
啄木の歌     島田欣也作詞  古賀政男作曲 1936
のばせばのびる  江川貞夫作詞  古賀政男作曲 1937
真実一路の唄   佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 1937
人生劇場     佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 1938
いさおを胸に   野村俊夫作詞、 古賀政男作曲 弘田竜太郎編曲 1944 松原操



8 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/12(Sun) 22:41
☆李香蘭の歌う古賀メロディ

さらば上海 (時雨音羽作詞、古賀政男作曲)李香蘭1939.9(初唱1932関種子)
紅い睡蓮     (西條八十作詞、古賀政男作曲) 李香蘭 1940.11
興亜三人娘 (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)奥山彩子、李香蘭,白光1940.12
黒き宝    (西条八十作詞、古賀政男作曲) 李 香蘭 1941.6
そうだその意気(国民総意の歌)(西條八十作詞、古賀政男作曲)(霧島昇、松原操、李香蘭)1941.7
夜霧の馬車 (西條八十作詞、古賀政男作曲)  李香蘭 1941.11
北京の子守唄    (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)  李香蘭 1941.11
迎春花(インチュンホワ)(西條八十作詞 古賀政男作曲)李香蘭 1942
夕月乙女   (西條八十作詞、古賀政男作曲)   李香蘭 1942.7
花の生命      (白井鉄蔵作詞、古賀政男作曲) 霧島昇、李香蘭 1942.8
花白蘭の唄   (白井鉄造作詞、古賀政男作曲) 楠木繁夫、李香蘭 1942.8

荒城の月(土肥晩翠作詞、滝廉太郎作曲、古賀政男編曲)、明大マンドリンクラブ伴奏、李香蘭 1942.9 COL100542

宵待草  (竹久夢二作詞、多忠亮作曲、古賀政男編曲)李香蘭、明大マンドリンクラブ伴奏1942.9 COL100542

若き日の夢   (西條八十作詞、古賀政男作曲)  李香蘭 1943.3
サヨンの歌   (西條八十作詞、古賀政男作曲) 李香蘭 1943.5



9 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/12(Sun) 22:46

文のかをり  古賀正男  佐藤千夜子 1930年3月 ビクター 51091
娘心も    浜田広介  同     1930年3月 ビクター 51091
青い小鳥   不詳    同     1930年12月 ビクター 51464 (*)
影を慕いて  古賀正男  同     1931年1月 ビクター 51519
日本橋から  浜田広介  同     1931年1月 ビクター 51519
片想い    浜田広介  同     1931年6月 ビクター 51688
風の鈴蘭   浜田広介  同     1931年6月 ビクター 51688
以上は,作曲家になる前の作品

10 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/12(Sun) 22:53
<古賀メロデー 青春・叙情歌>  藤山一郎歌

東京ラプソデイー (門田ゆたか)1936年6月(映画「東京ラプソデー」主題歌)
 ♪花咲き花散る宵も 銀座の柳の下で・・
東京娘 (佐藤惣之助)1936年6月 (映画「東京ラプソデー」挿入歌)
 ♪東京娘の 東京娘の初恋は・・
さらば青春(佐藤惣之助)1936年7月 (日活「慈悲心鳥」挿入歌)
 ♪愛と希望に身はきずつきて・・
男の純情(佐藤惣之助)(映画「魂」主題歌)1936年8月
 ♪男いのちの純情は 燃えて輝く金の星・・
愛の小窓(佐藤惣之助)(映画「魂」挿入歌)1936年8月 (デイックミネ)
 ♪花の都に身をすねて 若きいのちを散らすやら・・
回想譜(今城請児)1936年10月  (日活「女の階級」挿入歌)
 ♪星みれば はろかに遠く 雲見れば つきせぬ思い
青春カーニバル(青春の謝肉祭)(島田欣也・野村俊夫)  1936年11月
 ♪若き日の憧れを胸に抱き・・
青春日記(佐藤惣之助)1937年2月
 ♪初恋の涙にひそむ花びらを 水に流して泣きくらす あわれ一九の春の夢・
白薔薇は咲けど(佐藤惣之助)1937年5月(西條八十原作、東宝映画「白薔薇は咲けど」主題歌)
 ♪若き日に 溢るる胸の せつなさは 夢の空の 紅の色 野薔薇に虹は 消ゆるとも
  涙は消えぬ スーベニル
青い背広で(佐藤惣之助)1937年2月
 ♪青い背広で心も軽く・・
青春旅情 (佐藤惣之助)1938年3月
 ♪たそがれの波止場に一人泣きに行く ああ青春の・・
歓喜の丘 (島田芳文)1938年3月
 ♪あこがれの丘にきて 萌ゆる瞳に仰ぎ見る 空は青空 日はうらら・・
春よいずこ(西条八十)
 ♪おもいでは おもいでは 青い背広の・・



11 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/12(Sun) 22:58
☆佐藤千夜子歌唱の主なレコード作品

童謡、新民謡、歌謡歌曲、新日本音楽を含めて、100曲を超えるレコード歌手第一号・佐藤千夜子歌唱のレコード作品,その代表的なもの。

青い芒(すすき)1924(野口雨情作詩・中山晋平作曲)   大正13年(内外蓄音機)
紅薔薇   (林愛雄作詞、宮城道雄作曲)ビクター50698 新日本音楽
こすもす      (与謝野晶子作詞、宮城道雄作曲)  同
ひばり  1929.4(西條八十作詞、 宮城道雄作曲)   同
鶯の夢 1928.5(野口雨情作詞、 中山晋平作曲)  ビクター50313
波浮の港 1928.5 (野口雨情作詞、 中山晋平作曲) ビクター50313
マノン・レスコオの唄1928 .5  (西條八十作詞、中山晋平作曲) ビクター50321
旅人の歌 1928.12 (野口雨情作詞、中山晋平作曲)   ビクター50502
信田の藪  1936吹込(野口雨情作詞、藤井清水作曲1922) ビクター53876
当世銀座節   1928.7  (西條八十作詞、中山晋平作曲) ビクター-50371
須坂小唄 1928.8  (野口雨情作詞、中山晋平作曲)   ビクター50385
出船の港 1928.12 (時雨音羽作詞、中山晋平作曲) ビクター50502
毬と殿様   1929 ,2 (西條八十作詞、中山晋平作曲) ビクター50624
東京行進曲  1929.6  (西條八十作詞、中山晋平作曲) ビクター50755
君恋し    1929.10 (時雨音羽作詞、 佐々紅華作曲) ビクター50881
青い芒    1929.9 (野口雨情作詩, 中山晋平作曲) (再吹込)ビクター50901
鎮西小唄 1929 (野口雨情作詞、中山晋平作曲)
上州小唄   1929 .5 (野口雨情作詞、中山晋平作曲)
鉾をおさめて 1929.7 (時雨音羽作詞、中山晋平作曲)   ビクター50776
港おどり  1929.8 (野口雨情作詞、中山晋平作曲)
愛して頂戴  1929.8 (西條八十作詞、松竹蒲田音楽部(中山晋平)作曲)50901
黒百合の花  1929.10 (時雨音羽作詞、 佐々紅華作曲)   ビクタ‐50881
紅屋の娘   1929,6 (野口雨情作詞、中山晋平作曲)   ビクタ‐50755
摩天楼 1929.9 (時雨音羽作詞、 佐々紅華作曲)   ビクタ‐50936
文のかをり  1929 (古賀正男作詞、 古賀正男作曲)ビクター51091 (1930.3発売)
娘心も    1929 (浜田広介作詞、 古賀正男作曲)ビクター51091 (1930.3発売)
青い小鳥   1929 (不詳 、  古賀正男編曲)ビクター51464 (1930.12 発売) *
風の鈴蘭   1929 (浜田広介作詞、 古賀正男作曲)ビクター51698B(1931.6発売)
片想い    1929 (浜田広介作詞、 古賀正男作曲)ビクター51688A (1931.6発売)
母の歌    1930.1(鶴見祐輔作詞、 中山晋平作曲) ビクター51027@
唐人お吉の唄(黒船篇)1930.2(西條八十作詞、中山晋平作曲)  ビクター51093
この太陽   1930.6  (西條八十作詞、  中山晋平作曲) ビクター51240
琵琶湖シャンソン1930 (西条八十作詩・中山晋平作曲)
影を慕いて  1930 (古賀正男作詞、古賀正男作曲)ビクター51519B(1931.1発売)
日本橋から  1930 (浜田広介作詞、古賀正男作曲)ビクター51519A(1931.1発売)




12 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/12(Sun) 23:06
戦後の主な古賀メロディ・・


麗人の歌     1946(〈西條八十作詞 霧島 昇歌〉
悲しき竹笛    1946(〈西條八十作詞 近江敏郎、奈良光枝歌〉
こころ月の如く  1947〈西條八十作詞 二葉あき子歌〉
旅の舞姫     1947(〈西條八十作詞 霧島 昇 二葉あき子歌
嘆きの小鳩    1947 (西條八十作詞、藤山一郎歌)
あの夢この歌   1948〈西條八十作詞 霧島 昇 二葉あき子歌〉
三百六十五夜   1948〈西條八十作詞 霧島昇、ミス・コロムビア歌)
恋の曼珠沙華   1948〈西條八十作詞 二葉あき子歌)
湯の町エレジー  1948(野村俊夫作詩 近江俊郎歌)
雨の夜汽車    1948(西條八十作詞、奈良光枝歌)
待ちましょう   1948(西條八十作詞、松田トシ歌)
トンコ節     1948(西條八十作詞、久保幸江歌)
誰に恋せん    1948(藤浦洸作詞、 高峰三枝子歌)(大映映画「誰に恋せん」主題歌)
友情の歌     1948(藤浦洸作詞、藤山一郎歌)  (大映映画 『誰に恋せん』挿入歌)
なつかしのヴエノスアイレス1948(藤浦洸作詞、二葉あき子歌)
シベリヤエレジー 1948(野村俊夫作詞、伊藤久男歌)
愛の灯かげ    1949(西條八十作詩 近江俊郎、奈良光枝歌)
夢よもう一度   1949(西條八十作詩 二葉あき子歌)
希望に燃えて   1949 NHKラジオ「希望音楽会」テーマソング/新東宝映画「影を慕いて」より)(*)
(サトウハチロー作詞、伊藤久男、霧島昇、近江俊郎、二葉あき子、奈良光枝、高倉敏歌)
湯の町夜曲    1949(野村俊夫作詞、近江俊郎歌) (新東宝『湯の町夜曲』主題歌)
たそがれの湖   1949(西條八十作詞、近江俊郎歌) (新東宝『湯の町夜曲』挿入歌)
赤い靴のタンゴ  1950(西條八十作詞、奈良光枝歌)
嘆きの孔雀    1950(西條八十作詞、奈良光枝歌)(新東宝映画「処女宝」主題歌)
愛のカレンダー  1951(西條八十作詞、藤山一郎歌)
青いガス燈    1951(野村俊夫作詞、岡本敦郎歌)
夜の湖      1952(藤浦洸 作詞、藤山一郎歌)
ギター月夜    1952(西條八十作詞、霧島昇歌)
富士エレジー   1952(西條八十作詞、青木光一歌)
ゲイシャワルツ  1952(西條八十作詞、神楽坂はん子歌)
ザビエルの鐘   1953(西條八十作詞、青木光一歌)
見ないで頂戴お月様1953(野村俊夫作詞、神楽坂はん子歌)
長崎ブルース   1954(藤浦洸 作詞、山一郎歌)
湖畔のギター   1954(野村俊夫作詞、霧島昇歌)
おらんだ屋敷の花 1954(西條八十作詞、永田とよこ歌) (映画「春色お伝の方」挿入歌)
湯の町椿     1954(西條八十作詞、神楽坂はん子歌)
渚の子守歌    1954(西條八十作詞、織井茂子歌)
浪花ばやし    1954(西条八十作詞、青木光一神楽坂歌)
オランダ屋敷の花 1954(西條八十作詞、永田とよ子歌)
ピレネエの山の男 1955(西條八十作詞、岡本敦郎歌)
娘船頭さん    1955(西條八十作詞、美空ひばり歌)(松竹キネマ「娘船頭」主題歌)
シクラメン咲けど 1955(西條八十作詞、奈良光枝歌) (映画「暁の合唱」主題歌)
りんどう峠    1955(西條八十作詞、島倉千代子歌)
花のゆくえ    1955(門田ゆたか作詩、及川由子歌)(ラジオ東京『花のゆくえ』主題歌)
怒涛の男     1955(野村俊夫作詞、美空ひばり歌)  (映画「力道山物語」主題歌)(原曲「櫛巻きくずし」)
都に花の散る夜は 1955(丘灯至夫作詞、青木光一歌) (原曲は「さらば青春」)
逢わないで      (西條八十作詞、山本富士子歌)
恋の曽根崎    1955(西條八十作詞、美空ひばり歌) (『曽根崎心中』より)
お染久松     1955(西条八十作詞、空ひばり歌)
乙女心の十三夜  1956(西條八十作詩、島倉千代子歌) (映画「乙女心の十三夜」主題歌)







13 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/12(Sun) 23:11
青春ラプソディ    (石本美由起作詞 藤山一郎歌)
青春サイクリング 1956(田中喜久子作詞、小坂一也歌)
馬喰一代     1957(野村俊夫作詞、村田英雄歌)
思い出さん今日は 1958(星野哲郎作詞、島倉千代子歌)
無法松の一生   1958(吉野夫二郎作詞、村田英雄歌)
夜の酒場     1958(西條八十作詞、宝田明歌)
白い小ゆびの歌  1960(関沢新一作詞、島倉千代子歌)
雪之丞変化    1963(西條八十作詞、美空ひばり歌)
遊侠街道     1964(西條八十作詞、美空ひばり歌)
東京五輪音頭   1964(宮田隆作詞、 三波春夫歌)
柔        1964(関沢新一作詞、美空ひばり歌)
悲しい酒     1966(石本美由起作詞、美空ひばり歌)
我が心の歌    1968 (古賀政男作詞、アントニオ古賀歌)
銀座音頭     1968(西條八十作詞、美空ひばり歌)
若い銀座     1968(西條八十作詞、美空ひばり歌)
(明治百年大銀座祭記念作品、「銀座音頭」とともに西條八十最晩年の作品でもある。)
浜昼顔      1974(寺山修司作詞、五木ひろし歌)(原曲は「さらば青春」)
ひろしまの母   1977(石本美由起作詞、島倉千代子歌)


*「古賀政男作品集 希望音楽会による古賀政男作曲集( ハーモニカ譜付)」新興音楽出版社/全音楽譜出版社, 1949頃








14 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/12(Sun) 23:18
昭和SPレコード歌謡番組を待望する。

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=578828634&ls=50

15 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/26(Sun) 11:07
昭和の流行歌掲示板
h ttp://www2.ezbbs.net/cgi/reply?id=haidakatsuhiko&dd=37&re=231


16 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/30(Thu) 08:31
流行歌懐古館 別館・愛聴譜   TATMDfx03_64.pdf

昭和3年(1928)2月―昭和64年(1979) 180p.


17 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/31(Fri) 17:41
レコード草創期
h ttps://idol.ne.jp/record-creation-period

藤原義江など

18 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/02(Sun) 00:02
☆ミス・コロムビア(松原操)の歌う「古賀メロディ」

「お蝶夫人」の唄 (西条八十作詞、古賀政男作曲)1933.3
気まぐれ涙  (西条八十作詞、古賀政男作曲)  1933.10
誰も知らない (サトウハチロ−作詞、古賀政男作曲)1939.3
新妻模様   (久保田宵二作詞、古賀政男作曲) 霧島昇 1940.3
そうだその意気(西条八十作詞、古賀政男作曲) 霧島昇 李香蘭 1941・5
桜花に誓う  (西条八十作詞、古賀政男作曲) 奈良光江 三原純子 1945
目ン無い千鳥 (サトウハチロ−作詞、古賀政男作曲) 霧島昇 1940.4
三百六十五夜 (西条八十作詞、古賀政男作曲)    霧島昇 1948.9



19 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/05(Wed) 22:05
戦前は、貧しい時代ではあったが、軍国主義を除けば情緒があったようです。日本の天才的な数学者の岡潔さんもそう言っています。「戦前は軍国主義を除けば、良い時代であった」と。





20 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/09(Sun) 00:18
☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110


21 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/14(Fri) 10:08
【昭和歌謡】『東京大衆歌謡楽団』で、「日本の文化遺産」昭和SP歌謡を聞こう!
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=581636883&ls=50

今テレビでも、ラジオでも、CDでも聞けなくなってしまった『日本の文化遺産・昭和SP歌謡』を広く歌っています。

「古賀メロディ」など、ここにでてくる本当の「名曲」を余すところなく、たくさん聴くことができ、今おすすめです。

小人数楽団で全国で公演しています。日程は上記HP参照。

楽器も限定されるので、完全とはならないが、勉強もしているし期待される。

この日本がまだ貧しかった時代、まだテレビもなかった時代、日本映画黄金時代の昭和SP歌謡・この優れた貴重な日本の音楽文化遺産を守り、まだ知らない若者に広く知っ知ってうため、頑張ってくれるよう応援しよう!!。

22 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/25(Tue) 23:57
>>18

故郷の白百合 (サトウハチロ―作詞、古賀政男作曲)霧島昇 1943

23 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/26(Wed) 00:07
>>18,>>22

故郷の白百合 (サトウハチロ―作詞、古賀政男作曲)霧島昇 1943
いさおを胸に (サトウハチロ―作詞、古賀政男作曲)楠木?夫1944 広田竜太郎編曲

24 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/26(Wed) 00:14
☆ミス・コロムビア(松原操)の歌う「古賀メロディ」

「お蝶夫人」の唄 (西条八十作詞、古賀政男作曲)1933.3
気まぐれ涙  (西条八十作詞、古賀政男作曲)  1933.10
誰も知らない (サトウハチロ−作詞、古賀政男作曲)1939.3
新妻模様   (久保田宵二作詞、古賀政男作曲) 霧島昇 1940.3
そうだその意気(西条八十作詞、古賀政男作曲) 霧島昇 李香蘭 1941・5
桜花に誓う  (西条八十作詞、古賀政男作曲) 奈良光江 三原純子 1945
目ン無い千鳥 (サトウハチロ−作詞、古賀政男作曲)霧島昇 1940.4
故郷の白百合 (サトウハチロ―作詞、古賀政男作曲)霧島昇 1943
いさおを胸に (サトウハチロ―作詞、古賀政男作曲)楠木繁夫1944 広田竜太郎編曲
三百六十五夜 (西条八十作詞、古賀政男作曲)   霧島昇 1948.9


25 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/01(Sun) 10:47
1:02:09 #東京大衆歌謡楽団 と #浅草ブルースカイハモニカバンド

*うたの目次*
1 青い背広で 2:02 2 東京行進曲 4:21 3 芸者ワルツ 5:48 4 トンコ節 8:30 5 長崎のザボン売り 10:14 ◇ 懐かしくも麗しい皆さま! ◇ ★雄次郎さん★ #歌の花束 ;-) 12:35 6 東京の椿姫 13:18 7 目ん無い千鳥 15:24 8 涙の渡り鳥 18:08 9 流れの旅路 21:22 10 なつかしの歌声 23:39 11 東京ラプソディ 25:56 ♯若人よ!! 胸張って人生の春を謳歌せよ!! ♭いざや歌わん我らの歌を!! 12 二人は若い 28:21 13 南の花嫁さん 30:38 14 夜来香 33:03 15 上海帰りのリル 36:16 16 かえり船 38:54 17 東京の花売り娘 41:28 18 夢淡き東京 43:41 19 浅草の唄 46:39 20 ハイキングの歌 49:26 21 丘を越えて 52:05
◇そろそろ お別れのお時間です◇ 55:10 皆さまも ご一緒に 歌って頂きます 22 青い山脈 55:33
◇誠にありがとうございました◇ 58:21 23 赤いランプの終列車 58:42 ♪☆♪☆♪アンコール♪☆♪☆♪1:01:01 24 憧れのハワイ航路 1:01:08 :-)また お会いしましょう



26 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/04(Wed) 21:16
2020.1.3 東京大衆歌謡楽団 初春 浅草の賑わい 街頭演奏 2回目

*うたの目次*
1 青い背広で 2:02
2 東京行進曲 4:21
3 芸者ワルツ 5:48
4 トンコ節 8:30
5 長崎のザボン売り 10:14
◇ 懐かしくも麗しい皆さま! ◇ ★雄次郎さん★ #歌の花束 ;-) 12:35
6 東京の椿姫 13:18
7 目ん無い千鳥 15:24
8 涙の渡り鳥 18:08
9 流れの旅路 21:22
10 なつかしの歌声 23:39
11 東京ラプソディ 25:56
♯若人よ!! 胸張って人生の春を謳歌せよ!! ♭いざや歌わん我らの歌を!!
12 二人は若い 28:21
13 南の花嫁さん 30:38
14 夜来香 33:03
15 上海帰りのリル 36:16
16 かえり船 38:54
17 東京の花売り娘 41:28
18 夢淡き東京 43:41
19 浅草の唄 46:39
20 ハイキングの歌 49:26
21 丘を越えて 52:05
◇そろそろ お別れのお時間です◇ 55:10 皆さまも ご一緒に 歌って頂きます
22 青い山脈 55:33 ◇誠にありがとうございました◇ 58:21
23 赤いランプの終列車 58:42
♪☆♪☆♪アンコール♪☆♪☆♪1:01:01
24 憧れのハワイ航路 1:01:08 :-)
また お会いしましょう 1:02:09 #東京大衆歌謡楽団 と #浅草ブルースカイハモニカバンド




古賀メロディ;


1 青い背広で 2:02
3 芸者ワルツ 5:48
4 トンコ節 8:30
7 目ん無い千鳥 15:24
10 なつかしの歌声 23:39
11 東京ラプソディ 25:56
12 二人は若い 28:21
13 南の花嫁さん 30:38  (古賀政男編曲)
20 ハイキングの歌 49:26
21 丘を越えて 52:05


27 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/20(Mon) 20:00
昭和4年(1929)12月から、昭和5年(1930 )12月にかけ、ビクターで当時無名の古賀正男の「影を慕いて」など7曲をビクターでレコーディング。
古賀正男を世に送り出した。佐藤千夜子は、この1週間後にイタリアに向かった。

古賀政男は、自伝【我が心の歌】で、佐藤千夜子について、私に作曲家の道を開いてくださった【終生の恩人】と書いている。
ラジオはテレビに変わり、歌番組なしにテレビはない状態だが、それは大正14年愛宕山の放送所で、海軍軍楽隊の演奏の後、中山晋平のピアノでうたった佐藤千夜子の歌(童謡5曲)がそのはしりだそうです。

「佐藤千夜子」の歌はヒットの連続で、「西条八十」の作詞料が30円の時に、「佐藤千夜子」の印税は、2000円だったという。

だが、佐藤千夜子は人気絶頂の昭和5年(1930にオペラの勉強に出かけたのだ、古賀政男は同自伝に「飽くなき芸術への憧憬によるもの」だが、当時のまだ学生だった自分には思いとどまっていただくことなどできなかったが、今なら思いとどまってもらうだろうと書いている。

当時は流行歌手と言って一段低く見られていた、これがオペラを学んだ佐藤には耐えられなかっただろう。そして、帰ってきたときには、四家文子など東京音楽学校の優れた後輩にとって代わられ、居場所はなくなっていた。レコード時代の創世記・黎明期のあくなき憧憬による悲劇と古賀政男は書いている。昔はレコード歌手になるということは大変なことだったのだ。
90年前、 まだ、現在ある歌のほとんどすべてがまだ生まれていなかった時代である。

そういう意味では、あまり知られていないが、単なる「レコード歌手第一号」としてだけではなく、野口雨情、中山晋平らと大衆歌謡という音楽の新しい分野を日本に根ずかせることに歌手として大きな功績を果たしたといえるだろう。

そして最大の功績として、古賀政男の才能を見出し素早くメジャーデビュさせ、今日の大衆音楽の隆盛に繋げた陰の功労者といえる。

現地ではオペラの勉強の一方で、日本民謡を広めることに尽力する。昭和9年(1934)、功績が称えられ、イタリア政府からメダルを授与され, 帰国を前に「イタリア・オペラの殿堂」、イタリア・グラモホン本社スタジオ=ミラノ・スカラ座での録音が実現。

イタリア・グラモホン社のミラノ・スカラ座伴奏録音は「世界一流のアーチスト」。『カチューシャの唄』『船頭小唄』『酒場の唄』『春の雨』『ゴンドラの唄』『さすらいの唄』合計3枚6曲のミラノ録音が日本と米国で発売。

帰国直前だった佐藤さんは古賀政男へのポストカードに「ミラノ・スカラ座でのレコーディングもできました。」と喜びを伝えた。当時スカラ座でレコーディングできる歌手は世界中でも少なかった。上記作品に加え、佐藤千夜子の絶品の名唱です。

なお、佐藤千夜子が残した貴重なレコード曲は100曲を超えています。CDや、You Tubeの他、代々木上原駅前の「古賀政男音楽博物館」の他、「国立国会図書館デジタル化資料」(館内限定閲覧 録音映像資料/歴史的音源)等に残っている。



28 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/20(Mon) 20:39
藤山一郎は、古賀政男没直後に出た、追悼本である(「昭和の日本のこころ 古賀政男・・わが歌は永遠に」 昭和53年12月(平凡出版))で、『デッサンの確かな作品群』と題し、古賀政男との歴史的初対面と、歌手・藤山一郎の誕生などについて次のように寄稿している。

古賀政男との対面は昭和6年春、神田に共益商社という楽器店(後の日本楽器)があり、よく楽器をみていた、そこに慶応の先輩で加藤武二という支店長がいた。当時、共益商社の二階を借りて、「明大マンドリンクラブ」が練習していた。
そこで加藤支店長から見て行かないかと誘ってくれた、それが古賀政男との初対面。

加藤武二氏は,同時にコロムビアレコードのディレクターを兼務していて、それからまもなく、藤山(増永丈夫)は、加藤ディレクターから、古賀の専属第一作である『キャンプ小唄』の吹き込みについて、
『お前が歌ってみろ、アルバイトにはいいぞ』と誘われ引き受けることにした。
そして、市政会館にあったコロムビアで引き受けることを正式に伝え、芸名を考えた。
「藤山一郎」でどうでしょうかと言うと、「それでよかろう」となり、歌手・藤山一郎が誕生した。

なお、古賀政男の作品について、全てゼニ儲けの作品であってもデッサンの確かな作品でしたと書いている。



藤山一郎『デッサンの確かな作品群』(「昭和の日本のこころ 古賀政男・・わが歌は永遠に」 昭和53年12月(平凡出版))

29 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/20(Mon) 20:44
前橋出身の詩人・萩原朔太郎は、大正15年〜昭和4年まで、馬込の「文士村」に住んだ。
文士村には佐藤惣之助もいて、萩原朔太郎らと詩話會の機關誌「日本詩人」の編輯に携はる。昭和5年には、妹アイとともに上京、牛込区市ヶ谷台町(現・新宿区内)に居住。
昭和6年には、妹アイとともに世田谷区下北沢に。

一方、昭和6年、代々木上原に住んでいて、一時期世田谷松原に住んだ後、昭和13年、緑豊かな小田急線代々木上原駅前3000坪に、邸宅を構え移り住んだた古賀政男。
昭和8年1月には、朔太郎は世田谷区代田一丁目に自宅を新築。
8月には妹アイは、佐藤惣之助と結婚。

マンドリン演奏家としても知られる朔太郎は、マンドリン、ギターの名手でもある古賀政男邸に足しげく通い、
マンドリンやギターを習い、詩の談義に話をはずませたという。

なお、下北沢、世田谷代田は小田急線で、代々木上原から二つ目、三つ目。

朔太郎56歳は、太平洋戦争に突入して半年後の、昭和17年5月11日、風邪をこじらせ世田谷代田の自宅で急性肺炎で病没。
義兄・萩原朔太郎の葬儀を済ませた佐藤惣之助51歳も、4日後、疲れから外出先で脳溢血で倒れ帰らぬ人となり、二人の詩人は相次いであっけなくこの世を去った。

朔太郎終焉の地近くの北沢川緑道に「萩原朔太郎・葉子と代田の丘の61号鉄塔」という由来碑がある。
この高圧鉄塔は、萩原朔太郎の居住痕跡を示す唯一のものとして「世田谷区地域風景資産」となっている。
前橋、広瀬川のほとりに立つ前橋文学館(萩原朔太郎記念館)には、朔太郎直筆の原稿やノートなどのほか、愛娘葉子と「古賀メロディー」を奏でた朔太郎愛用のギターなどが展示されている。

(参 考)
萩原葉子 『父・萩原朔太郎』(中央公論社 中公文庫 A 109-2、1979) 1959筑摩書房
萩原朔太郎 流行歌曲について  
   (「日本の名随筆 別巻82 演歌」作品社。:「萩原朔太郎全集」筑摩書房1975)
古賀政男「歌はわが友わが心 : 古賀政男自伝」潮出版社1977

参考

☆戦前の流行歌
 h ttp://kazuhisa.eco.coocan.jp/senzen1.txt




30 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/20(Mon) 20:51
参考

☆戦前の流行歌
 h ttp://kazuhisa.eco.coocan.jp/senzen1.txt

☆古賀政男総合スレ
 h ttp://ai.2ch.sc/test/read.cgi/natsumeloj/1320231349/


31 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/20(Mon) 23:02
万城目正 昭和期の作曲家
明治38(1905)年1月30日―昭和43(1968)年
万城目正は戦前、昭和13年ごろから昭和30年代まで活躍した作曲家です。古賀政男と同じく、日本調歌謡曲を本領としていました。
この2人に共通するのはどの曲も、前奏がすばらしいということです。ときには、メインのメロディより、前奏のほうが記憶に残ったりします。
 万城目正のヒット曲.「愛染かつら」三部作『旅の夜風』『純情二重奏』『リンゴの唄』『あの丘越えて』『情熱のルンバ』『この世の花』・・などを聴くと、そのことがよくわかります。
いい曲が多いのに名が余り知られていないようですが、知られたヒット曲は、古賀政男は破格としても、戦前がポツンポツンで少ない服部良一,古関裕而あたりに比べて、ずっと上でしょう。



32 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/21(Tue) 09:17
歌謡・歌謡歌曲は、受け入れられなければ意味がない。つくるだけではだめ!。

>「歌謡曲」の世界は、「一強多弱!」。

何といっても、圧倒的著作権で知られる「古賀メロディ」の古賀政男が一!別格!。
西条八十と同じで、作品が次から次にでてきて、きりがないのだ。

一方、他作品で、メジャー作品10曲程度あげるのは大変!。しかも、ほとんどが戦後(戦後早々)になってしまう。
言えますか!?。

服部(J^POP),古関ベースから、・・「愛染かつら」三部作など50年前に亡くなったが、万城目正・・に軸足を切り替えるのがいいだろう。




のものになってしまう。


33 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/21(Tue) 16:29
昭和SPレコード歌謡番組を待望する。
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=578828634&ls=50


34 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/22(Wed) 22:44
服部良一、古関裕而いずれにしても、メジャ―なヒット曲といわれるものは、あまりにも少ない。
古賀政男とこの二人を含めて昭和三大作曲家と呼ぶようなこともあるようだが、古賀メロディの古賀政男と一緒に
するのは適当でない。
メジャ―な曲と言えば、古賀政男の唯一のライバルとされ、それなりの実績の江口夜詩や、「愛染かつら三部作」や、純情二重奏、哀愁日記、などの万城目正あたりのほうが上でしょう。

35 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/24(Fri) 19:57
古賀メロはスローテンポの曲が多い
よほど歌唱力のある人でないと歌えない
ちょっと有名になるときまったように古賀メロを
レコーディングしているが、金返せと言いたくなる
ようなのばっかり


36 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/24(Fri) 20:20
☆戦前の流行歌〈1928−1943〉 主なもの

 h ttp://kazuhisa.eco.coocan.jp/senzen1.txt


37 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/24(Fri) 21:53
大衆歌謡を築いた人たち  国立国会図書館
h ttps://rekion.dl.ndl.go.jp/ja/ongen_shoukai_04.html4
明治期の様相を集大成した歌声が、大正初期における松井須磨子のレコードといえよう。そうした旧態を一変するのが、昭和の初め。円盤の技術開発もあってレコード会社の設立が相次ぎ、歌手、作詞家、作曲家が多数輩出する。なかでも歌手への憧れは、一般庶民の歌唱力アップをもたらす。ついては、昭和初期に活躍した多彩な人物の中から8名を選び、生年順に経歴と主な作品を略記する。


38 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/24(Fri) 21:58
古賀政男 -日本古典 軽音楽 メロディー (Koga Masao Light Music Melody, LP) Part2
49,334 回視聴?/11/11

39 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/30(Thu) 18:33
新妻鏡(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)昭和15年(1940) 古賀政男氏が、生前あるテレビ番組で、この曲について語っていたことが印象に残っています。佐藤惣之助氏から歌詞をはじめて見せられたとき、古賀氏は感動で打ち震えたと言って「僕が心の夫なら 君は心の・・・」とつぶやいたあと、感極まってしばし絶句。そして口をついて出たのが、次の言葉でした。
  「私はね、歌謡曲というものはね、『詩』がお姉さんで、『曲』は妹だと思います。」
後日、この発言に対し、某作曲家が「古賀さんはああ言われたけれども、私は詩と曲とは『双子の姉妹』だと思います。」と異を唱えていました。歌謡曲にとって詩と曲とは、お互いに、言わば、車の両輪という関係ですから、論理的には某氏の説のほうが正しいように思われます。しかし、古賀氏の言う「姉」と「妹」とは、ひとつの作品が誕生するまでに至る順序を指しているのであって、「上下」や「優劣」とはまた別の話だと思います。時には愚姉賢妹という例だってありますから。
 「詩はお姉さん」という言葉が「作曲家」、しかも古賀政男という大家から発せられたところに、却って氏の誠実で謙虚な人柄が偲ばれるように思います。


40 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/30(Thu) 18:39
佐藤惣之助氏から歌詞をはじめて見せられたとき、古賀氏は感動で打ち震えたと言って「僕が心の夫なら 君は心の・・・」とつぶやいたあと、感極まってしばし絶句。そして口をついて出たのが、次の言葉でした。

41 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/30(Thu) 19:50
とてもいい曲だと思います。いつまでも残しておきたいですね。現代ではいろんな人が作詞、作曲されていますがこのように心に残る曲がないのが残念でなりません。  
このようなきれいで心に残る曲を後世に
これからも数少ない名曲を大切にみんなで歌い継がれるようにしたいですね。

42 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/01(Fri) 23:19
昭和の大衆歌謡史音楽としての「昭和歌謡史」の中で、J-POP系に比べ日本的なものがあまり出てこないというか、知られていのか残念なことである。
忘れてはならない作曲家に万城目正がある。

万城目正は昭和10年代、映画音楽から入った人で、古賀政男との類似性が指摘できる。

古賀メロディほどではないが、古賀政男に次いで西條八十とのコンビ曲でメジャ―な曲が多い。

その優しい言葉、そのメロディの優しさ。
日本映画黄金時代、「愛染かつら」三部作、旅の夜風、愛染夜曲、愛染草紙や、純情二重奏、純情の丘、乙女七人。
戦後の、リンゴの歌、越後獅子の唄、この世の花、など永く心に記憶されるものが多い。

昔の日本人の心優しさ、節度ある清爽さを表す昔の日本の歌。
古き佳き日本人の歌は癒され心を打たれすばらしい。

万城目正

旅の夜風 西條八十作詞 1938 霧島昇、ミス・コロムビア
愛染夜曲 西條八十作詞 1939 同上
愛染草紙 西條八十作詞 1939 同上

純情二重奏 西條八十作詞 1939 霧島昇、高峰三枝子
純情の丘 西條八十作詞 1939 二葉あき子
乙女七人 西條八十作詞 1939 ミス・コロムビア
愛馬花嫁 西條八十作詞 1940 ミス・コロムビア、菊池章子、渡辺はま子

リンゴの歌 サトウハチロ―作詞 霧島昇、並木路子
越後獅子の唄 西條八十作詞 1950 美空ひばり
哀愁日記  西條八十作詞  1954 初代コロムビアローズ
この世の花 西條八十作詞  1955 島倉千代子



43 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/03(Sun) 07:11
>>39

>、某作曲家が「古賀さんはああ言われたけれども、私は詩と曲とは『双子の姉妹』だと思います。」と異を唱えていました。

参考に、某作曲家とは都倉 俊一氏、19代日本音楽著作権協会会長になった。

44 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/03(Sun) 07:46
>>42

愛染かつら メロドラマ
1938年(昭和13)作品、松竹大船三部作。 ...-
『婦人倶楽部』に連載された川口松太郎原作の同名小説の映画化、♪花も嵐も踏み越えて 行くが男の生きる道♪、歌う「旅の夜風」が有名な戦前の松竹メロドラマの傑作。子持ちの未亡人看護婦・高石かつ枝と、院長の息子で青年医師の津村が恋に落ち、身分の違いや子供の病気など様々なすれちがいを経てついに結ばれる・・・。同時に霧島昇とミス・コロムビアの二人も、この三部作の最後の「愛染夜曲」の最後で、歌詞そのままに結ばれる。

はろばろと はろばろと
愛の山河 今日旅終えて
結ぶ縁(えにし)の 愛染かつら
花よ降れ降れ より添う肩に

愛染かつら完結篇の主題歌「愛染夜曲」の最後四番目にこうある。
「愛染かつら」と共に結ばれる霧島昇とミス・コロムビア(松原操)に対するはなむけの言葉であると、西條八十は自伝『唄の自叙伝』にかいている。
ttp://www13.big.or.jp/~sparrow/MIDI-aizenzoshi.html

・愛染かつら 1938年(昭和13年)9月10日       
  主題歌 旅の夜風(西條八十作詞、万城目正作曲) 霧島昇 ミス・コロムビア
  挿入歌 悲しき子守唄(西條八十作詞、竹岡信行作曲)ミス・コロムビア
・続・愛染かつら 1939.5.5
  主題歌 愛染夜曲(西條八十作詞、万城目正作曲) 霧島昇 ミス・コロムビア
  挿入歌 朝月夕月(西條八十作詞、竹岡信行作曲) ミス・コロムビア
・愛染かつら・完結編 1939.11.16
  主題歌 愛染草紙(西條八十作詞、万城目正作曲) 霧島昇 ミス・コロムビア 
  挿入歌 荒野(あれの)の夜風(西條八十作詞、早乙女光作曲)ミス・コロムビア、二葉あき子


45 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/03(Sun) 18:02
☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110

☆日本の名曲 【日本の優れた文化遺産!】
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=521471093&ls=50

☆【日本の音楽文化遺産】日本の名歌・名唱を語ろう!!
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=466329511&ls=50

☆昭和SP歌謡  歌謡史を支えた主な名歌手(戦前・戦中) 1,
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=455286679&ls=50

☆昭和「日本映画黄金時代」と映画主題歌
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=443967449&ls=50

☆【昭和最大著作権王】昭和歌謡史と作曲家古賀政男【古賀メロディー!!】
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=487062431&ls=50

☆懐かしの銀座を歌った歌
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=510311914&ls=50

☆名前を名にした歌
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=513078845&ls=50

☆昭和歌謡が好きな人集まれ!
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=494943486&ls=50




46 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/04(Mon) 14:03
☆【日本のクラッシック】 古賀メロディの歴史
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=558914195&ls=50

☆日本の歌こころの歌
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=508252044&ls=50

☆昭和SPレコード歌謡番組を待望する。 (ラジオBBS)
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=578828634&ls=50

☆童謡の歴史の中の、戦後、「ロバの会」と童謡排斥運動
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=561794206&ls=50

☆『東京大衆歌謡楽団』で、「日本の文化遺産」昭和SP歌謡を聞こう!
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=581636883&ls=50 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=nandemo&key=581643467&ls=50

☆古賀政男音楽博物館
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/fc680eb40403d8544cc667836dceca8a

☆戦前の流行歌
h ttp://kazuhisa.eco.coocan.jp/senzen1.txt


47 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/04(Mon) 14:53
(参考)古賀政男音楽博物館(一般財団法人 古賀政男音楽文化振興財団)

小田急線・地下鉄千代田線 代々木上原駅前すぐです。新宿、渋谷から10分で行けます。

駅前昔の面影はありませんが、3000坪野の旧古賀政男邸跡に作られた音楽博物館です。古賀政男邸や古賀の遺品,第一級の美術品等の博物館のような展示があります。

隣のビルも古賀財団のビルで、西新橋から移転してきたJASRAC(日本音楽著作権協会)本部がテナントとして入っています。

古賀政男も日本音楽著作権協会会長を歴任。昭和14年には、日本音楽著作権協会の前進、大日本音楽著作権協会の設立にも加わりました。

古賀政男は昭和の圧倒的著作権王で、著作権には切っても切れない音楽家です。


「佐藤千夜子」の「影を慕いて」のレコードも展示されています。その他企画展がじいじ行われていますが、現在コロナでたぶん休館中かもしれません。

滝廉太郎とか明治以降大衆音楽に尽くした音楽家、詩人・作詞家、作曲家、歌手・声楽家、演出・演奏家など多数の歌を地下の音楽情報室で選んで、7000曲聴くことができます。
古賀メロディについて2000曲、自由に選んで聞くことができます。

☆古賀政男音楽博物館  参照
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/fc680eb40403d8544cc667836dceca8a

古賀政男音楽博物館(コガ・ミュージアム)
(一般財団法人 古賀政男音楽文化振興財団)
h ttp://www.koga.or.jp/

代々木上原は、古賀政男が昭和13年に移り住んだ街です。
古賀政男は、この代々木上原の地に、音楽創造に邁進する同志を集めて音楽村をつくろうという構想を持っていました。
古賀政男音楽博物館は、古賀政男の遺志を引き継ぎ誕生した、大衆音楽の博物館です。
古賀政男の展示はもちろん、日本の歌謡史に関する資料も多数展示しております。
「見て・聴いて・歌える」博物館です。ごゆっくりお楽しみください。

〒151-0064 東京都渋谷区上原三丁目6−12
Tel:03-3460-9051 / Fax:03-3460-9052
入館料 一般550円 学生440円 小中学生220円

交通
・新宿駅より小田急線、地下鉄千代田線 代々木上原駅下車 徒歩3分
・京王バス 笹塚循環(渋谷〜笹塚) 古賀音楽博物館下車 徒歩1分
・ハチ公バス 丘を越えてルート 古賀音楽博物館下車 徒歩1分

(コロナの影響で休館かもしれません、確認のこと。)

48 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/05(Tue) 21:34
>>42

万城目正 主な代表曲

「旅の夜風」 (西條八十作詞; 1938年):映画『愛染かつら』の主題歌
「愛染夜曲」 (西條八十作詞; 1939年)
「愛染草紙」 (西條八十作詞; 1940年)
「純情二重奏 (西條八十作詞; 1939年)
「純情の丘」 (西條八十作詞; 1939年)(松竹大船映畫「新女性問答」主題歌)
「別れ路の歌 (高橋菊太郎作詞、1939年)(松竹大船映画「母の歌」主題歌)
「愛の紅椿」 (西條八十作詞; 1940年) 松竹「愛染椿」主題歌
[愛馬花嫁] (西條八十 作詞 1940年)征戦愛馬譜 暁に祈る(佐々木康監督)
「リンゴの唄」(サトウハチロー作詞 1946年) 映画「そよかぜ」主題歌
「浅草の唄」 (西條八十作詞、1948年)「松竹映画 駒鳥婦人」主題歌
「悲しき口笛」(藤浦洸作詞; 1949年)
「別れのタンゴ(藤浦洸作詞、高峰三枝子歌、1949年) 
「東京キッド」 (藤浦洸作詞; 1950年)
「越後獅子の唄」(西條八十作詞; 1951年)
「情熱のルンバ」(藤浦洸作詞; 1951年)
「あの丘越えて」(菊田一夫作詞; 1951年)
「哀愁日記」 (西條八十作詞; 1954年)
「この世の花 」 (西條八十作詞; 1955年):
「しあわせはどこに」(西條八十作詞; 1956年)


49 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/05(Tue) 21:43
万城目正は、いい歌が多い。
服部良一や古関裕而よりずっと多い!。
西条八十作詞が多い。大体、古賀政男との類似性が多い作曲家。

50 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/06(Wed) 22:46
(参考)

流行歌の世紀―近代日本の大衆音楽(菊池清麿)
中山晋平・鳥取春陽・古賀政男・藤山一郎 古関裕而
h ttp://www5e.biglobe.ne.jp/~spkmas/sub7.html


51 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/07(Thu) 07:27
目ン無い千鳥(霧島昇・ミスコロムビア)
サトウハチロー作詞 、古賀政男作曲
これは、今からナツメロを聴いてみようかな、という人には絶対オススメの一曲。
あっ、でもリバイバルはだめです。オリジナルの霧島&ミスコロのデュエットで聴くからこその青春歌謡であって、大川栄策では、なんか歌謡曲というよりベタベタの演歌みたいで、私はどうも好きになれない。
「目ン無い千鳥」というのは、もともと子供の「目かくし鬼ごっこ」のことらしいですが、ここではそういう意味ではなく、「新妻鏡」という映画の主人公である、目の見えない妻という設定に関連づけられているのでしょう。
映画の設定はともかくとして、それと切り離して聴いても、この歌は素晴らしい青春回想記です。
    h ttp://www1.neweb.ne.jp/wa/mayu/mennai.html


52 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/07(Thu) 07:44
やはり日本の歌いいですね、特に日本がまだ貧しかった時代の歌は。
今、日本は豊かになり飽食の時代と言われ久しくなりましたが、昭和20
年代頃まで、日本は今では考えられない貧しい時代、貧しいけど心豊か
な時代だったと思います。
 
日本の歌にも、いろいろな分野の歌がありますが、この頃の歌の底流
に共通していえること、それは心温まるやさしさではないでしょうか。
今の日本人が忘れかけようとしている、何か大切なものを思い起こさせ
てくれます。詩も、歌も、歌い手も・・この頃の歌を聞くとなぜか涙が
出てきます。しみじみと聞く、究極の癒しといえないでしょうか。

 h ttp://www5f.biglobe.ne.jp/~Minerva/nipponnouta/nipponnouta_kokoronouta.html

53 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/14(Thu) 23:33
早稲田大学歌集 第二校歌『人生劇場』

早稲田を舞台に見立てた尾崎士郎の名作「人生劇場」と同じタイトルの歌謡曲です。
早稲田大学の第二校歌ということは恥ずかしながら最近まで知りませんでした。

『人生劇場』 昭和12年 作詞 佐藤惣之助 作曲 古賀 政男

一. やると思えば どこまでやるさ
   それが男の 魂じゃないか
義理がすたれば この世は闇だ
なまじとめるな 夜の雨

二. あんな女に 未練はないが
   なぜか涙が 流れてならぬ
   男ごころは 男でなけりゃ
   わかるものかと あきらめた

三. 時よ時節は 変わろとままよ
   吉良の仁吉は 男じゃないか
   おれも生きたや 仁吉のように
   義理と人情の この世界

四. 端役者の 俺ではあるが
   早稲田に学んで 波風受けて
   行くぞ男の この花道を
   人生劇場 いざ序幕

h ttps://www.youtube.com/watch?v=04ZdYSUAW08


54 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/19(Tue) 12:15
1.『人生劇場』と尾崎士郎
―『早稲田大学と文学』NO.886 Nov.18,1999
h ttps://www.waseda.jp/student/weekly/tokusyu/tok886-2.html

早稲田大学 第二校歌「人生劇場」 2001年1月29日
h ttp://www2.fukuicanon.co.jp/tamaki/waseda/w010129B.html



55 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/19(Tue) 14:11
窓に凭(もた)れて
作詞:島田芳文
作曲:古賀政男
歌唱:関  種子
新興キネマ「姉」主題歌

(一)
行きて返らぬ 若き日を
窓に凭れて 思いみる
夢多かりし かの頃の
雲のかからぬ 清らかさ
ああ 過ぎにし 過ぎにし春の
思い出よ

(二)
ただやすらけく ありし日の
胸のあこがれ 泡と消え
たけての今日の この胸に
地上の愛の なやましさ
ああ 涙に 涙にくるる
このこころ

昭和6年(1931年)12月に、関種子の歌でレコード発売された。「丘を越えて」(藤山一郎)のB面 いずれも東京音楽学校主席。終戦直後、進駐軍のリクエストNO.1だった曲だとか
「丘を越えて」(藤山一郎)とともに、映画「姉」の主題歌







56 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/19(Tue) 14:30
(参考)
ステレオで聴く不滅の古賀メロディー大全集
12,100円(税込) 5,580円(税込)
作曲家活動90周年の90曲!
「影を慕いて」(昭和3年)を作曲してから90年
そして昭和53年にこの世を去るまで、半世紀にわたって第一線の作曲家として活躍した古賀政男。
「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「東京ラプソディ 」「人生劇場」「湯の町エレジー」など戦前SP時代の大ヒット曲も名歌手によるステレオ録音で、また「柔」「悲しい酒」など後期の代表曲も収録。
日本人の心のメロディーとなった名曲の数々をぜひご堪能ください。


●発売日 2018年05月18日
●CD5枚組(全90曲)
●別冊歌詞・解説書つき
●ボックスケース入り
h ttps://www.eroaniment.shop/index.php?main_page=product_info&products_id=1349
会社名:株式会社toto・noel
-->店舗連絡先:free@emorimoto.com


57 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/19(Tue) 14:33
12,100円(税込)訂正、5,580円(税込) とあります、。

58 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/19(Tue) 19:19
(取り戻そう日本の歌)日本の歌謡の歴史(日本の文化遺産)

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=589880538&ls=50


59 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/19(Tue) 19:25
(取り戻そう日本の歌)日本の歌謡の歴史(日本の文化遺産)

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=589880538&ls=50


60 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/19(Tue) 23:53

1.「「お蝶夫人」の唄」
(昭和8年=1933、西条八十・作詞、古賀政男・作曲、ミス・コロムビア・歌)

10ある「お蝶夫人」の歌10あるの最初



昭和8年1月早々、コロムビアはライバル(ビクター)の看板作詞家・西条八十(さいじょうやそ)さんと、自社の看板作曲家・古賀政男(こがまさお)さんにコンビを組ませるというショッキングな企画を発表、世間をアッと言わせます。
その“百万ドルコンビ”第1作で、5月に発売されました。
歌ったミス・コロムビアは同年3月「浮草の唄」でデビューしたばかりの覆面歌手。
本名は松原操(まつばらみさお=のちの霧島昇夫人)さん。
アイマスクを掛けた覆面写真に「これは誰でしょう」のというキャッチコピーで宣伝、話題を集め、歌もヒットしました。
戦後、長崎復興に観光が第一と考えた文化関係者が“グラバー邸はお蝶夫人ゆかりの地”のお墨付きを与えた際、この歌も有力な材料になりました。

昭和25年春、グラバー邸で
「お蝶夫人の唄」の舞踊
(藤間勘美智さん)を見る
長崎の文化関係者


61 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/25(Thu) 20:29
戦前の流行歌 h ttp://kazuhisa.eco.coocan.jp/senzen1.txt

62 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/26(Fri) 09:05
(参考)
h ttps://item.rakuten.co.jp/cfc-co/d6160/?scid=af_pc_etc&sc2id=af_102_1_10001643

<古賀政男名曲大全集>
2010年、コロムビアミュージックエンタテインメントは創立100周年を迎えます。その記念企画の一つとして今回ご案内いたしますのが、コロムビアの“顔”であり、昭和歌謡史上最大の巨人、古賀政男の作品全集です。5000曲ともいわれる“古賀メロディー”の膨大な作品の中から、コロムビア音源を中心に選びに選び抜かれた究極の名曲・全200曲。出演者も、藤山一郎を初め、淡谷のり子、霧島 昇、二葉あき子、李 香蘭、近江俊郎、神楽坂はん子、村田英雄、美空ひばりなど、まさに綺羅星のごとき大スターたちによる夢の饗宴盤となっています。
過ぎ去りし昭和を振り返りながら、もう二度と現れないであろう大作曲家の音楽の真髄に触れていただく、まさにコロムビア創立記念に相応しいBOXセットです。
CD10枚組
全200曲収録
別冊歌詞集付
専用ケース入り
古賀政男 名曲大全集
(1件)22,000円(税込)送料660円

商品番号 D6160 コロムビア創立100周年記念特別企画!
選びに選び抜かれた「古賀メロディー」の名曲200曲!!
【演歌・歌謡曲 CD】
古賀政男 名曲大全集 商品番号D6160



63 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/26(Fri) 19:50
2009/10/24 私の好きなレコード
ミス・コロンビア(松原 操)思い出のアルバム

「浮き草の唄」「十九の春」「気まぐれ涙」「秋の銀座」「並木の雨」「河原ススキ」「ヒュッテの一夜」「月のキャンプ」「峠の雨」「真白き富士の根」「乙女鳥」「「そんなのないわ」「旅の夜風」「悲しき子守唄」「母の歌」「一杯のコーヒーから」「港の歌」「愛染夜曲」「朝月夕月」「乙女七人」「日本よい国」「愛染草紙」「荒野の夜風」「新妻模様」「目ン無い千鳥」「楊柳芽をふく頃」「大空に祈る」「三百六十五夜」 コロンビアAL・5070〜1

ミス・コロンビア・松原 操の歌謡曲のSP録音を復刻したセットである。彼女は昭和8年に東京音楽学校を卒業し、クラシックの声楽家として活動していたが、コロンビアにスカウトされ歌謡曲も歌うようになった。

 彼女の歌を聴いていると、かつて存在したが今はもう失われた日本女性の美徳、純情、可憐、清楚、貞淑といった要素をその歌唱の中に昇華し結晶化しているように思われる。大げさな言い方になるかもしれないが、西洋音楽の歌唱において日本らしさ、日本的スタイルがここに確立しているとみることができる。そして彼女以後、これ程、日本的な良さを感じさせる歌手は出なかった。その意味でまことに貴重な記録がここにあるといえよう。
また、彼女のノンヴィヴラートの発声を聴いていると、ヴィヴィラートというのは、あってもいい場合もあるという程度に理解すべきことが痛感される。中世ルネッサンスの宗教曲等でヴィヴラートがあると困る場合はあっても、逆にヴィヴラートがなくてはならないという曲はないのではないかということである。
ところで、1970年代以後にコロンビアから発売されたこの種のSP復刻盤には以下の3種の音源が混在している。すなわち@昭和30年代に復刻したものをテープで保存していたもの。A1970年代以後に新たに金属原盤から復刻したものB市販のSP盤から1970年代以後に新たに復刻したもの(いわゆる板おこし)。この場合Aがすばらしい音質であることが多く、@については、テープの経年劣化のため音質がよくない場合が多い。松原操の復刻盤は他にも出ているが、この3種の音源が混在しており、「旅の夜風」等 有名曲は@によるものが多くて音質がすぐれない。その点このセットはすべてBで統一されているようで、ものによってはノイズが多かったり音が歪んだりしているが、先述の「旅の夜風」等は他の復刻盤におけるものより音が良い。とにかく、曲は同じでも、他の盤とは復刻の方法が異なっているので、その点だけでも存在価値のあるセットといえよう。
h ttps://www.sugatani.co.jp/blog/?p=1050



64 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/26(Fri) 20:01
有名人の墓巡り
2016年 12月 17日
松原操(1911〜1984)


松原 操(まつばら みさお)

歌手
1911年(明治44年)〜1984年(昭和59年)

1911年(明治44年)、北海道小樽区(現在の小樽市)に生まれる。幼少期に両親と共に上京するが、12歳の時に父親が病死。音楽に理解のある母親の手で育てられる。その後、青山学院女学部を経て、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)に進学。卒業後の1933年(昭和8年)、コロムビアのテストに合格。当時、ビクターの小林千代子がデビュー当時に「金色仮面」として売り出したところ話題を呼び、後にヒット歌手となったことから、コロムビアも松原操を売り出すために「ミス・コロムビア」という覆面歌手として、宣伝の写真に目隠しをして『浮草の唄』で彼女をデビューさせた。同年、人気スター・伏見信子と人気子役の高峰秀子が共演した松竹映画『十九の春』の同名の主題歌が大ヒット。その後、『並木の雨』『秋の銀座』などのヒットを連発し、美声の流行歌手として人気を博す。1936年(昭和11年)、予定されていた新興映画『初恋日記』の主題歌『花嫁行進曲』のレコーディングを控えながら、病気のため1年間の療養を余儀なくされる。1937年(昭和12年)に復帰を果たし、一連のネエ小唄ブームの流れを組む『ふんなのないわ』が本人の思惑とは相反して、カムバック後の最初のヒットとなった。1938年(昭和13年)、デビュー間もない霧島昇と歌った松竹映画『愛染かつら』の主題歌『旅の夜風』と『悲しき子守唄』が最大のヒット曲となるほどの売り上げを記録。映画『愛染かつら』自体が爆発的な人気となり、続編、完結編が製作されると、『愛染夜曲』『朝月夕月』『愛染草紙』『荒野の夜風』と一連の主題歌が合わせて発売され、いずれもヒットしている。このヒットで、「愛染コンビ」と呼ばれた霧島昇との共演が多くなり、『一杯のコーヒーから』『愛馬進軍歌』が続けてヒット。ステージや巡業の機会が多くなったことから、3歳年下の霧島昇との関係が親密となっていった。ところが、霧島は当時一躍人気歌手となっていたため、『純情二重奏』で共演した高峰三枝子や、コロムビアの新人歌手・奥山彩子らとの関係がスキャンダルとして取り上げられると、すでに長男を身篭っていた松原操は、正式な結婚を霧島に迫り、1939年(昭和14年)、作曲家・山田耕筰夫妻の媒酌によって、人気歌手同士の結婚が成立した。その後も、「結婚後は人気が落ちる」という通説を覆し、『目ン無い千鳥』『愛馬花嫁』などのヒットが続くが、内務省より戦局の悪化に伴うカタカナ名前の芸名を禁じる指令の対象となり、ミス・コロムビアから本名の松原操に改名。戦時中も『大空に祈る』『いさおを胸に』などをレコーディングし、家庭と仕事を両立させて活動した。しかし、1948年(昭和23年)に夫・霧島昇とレコーディングした『三百六十五夜』を最後に完全引退。引退の理由は、子供の教育のため、戦時中から流行していたヒロポンのために歌うことができなくなった、など諸説あるが、現在に至るまで明らかにされていない。引退後は、家庭の人として霧島昇を支えながら育児に専念。その後、何度もカムバックの話があったものの、歌うことに関しては一切の仕事を断り続けた。1981年(昭和56年)、霧島昇の歌手生活45周年を記念して発売された『妻よ』に松原操として台詞を入れ、30数年ぶりのレコーディングを行った。晩年は心身ともに不調をきたし、入退院を繰り返していた。1984年(昭和59年)4月には、夫である霧島昇に先立たれてしまい、当時霧島と別の病院に入院中であった操は、病身を押しながら葬儀を執り行い、霧島昇の49日の法要を終えた。それから間もなくして、亡き夫の後を追うかのように、同年6月19日に胆石病のため死去。享年73。


高音が冴え渡る美声の歌手、ミス・コロムビアこと松原操。彼女のお墓は東京都港区の長谷寺にある。正面には「坂本家 祖霊塔」とあり、右横に墓誌が彫られている。戒名は「桂月院雅心淨操大姉」。芸能人における元祖「できちゃった結婚」、また元祖「おしどり夫婦」といっても過言ではない霧島昇・松原操夫妻。戦後の懐メロブームにあっても、いっさいの歌番組出演を断り続けて歌うことがなかったことは、昭和歌謡好きにとっては正直残念でならない。それだけに、1977年(昭和52年)にNHKで放送された「ビッグショー 霧島昇・今こそわが歌を…」で映った、夫の歌う姿を穏やかな微笑みで見つめる彼女の姿を見たとき、大いに感動したものであった。彼女の引退からまもなく70年、早々と引退してしまったこともあり、「旅の夜風」以外の彼女の歌が忘れ去られつつあるのが非常に残念に思う。

65 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/26(Fri) 20:13
>>64
h ttps://hakameguri.exblog.jp/27366048/

松原操の写真あり。

66 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/27(Sat) 12:21
・流浪の民Zigeunerleben (Schumann)  日本発売:昭和11年1936)1月
石倉小三郎作詩、奥山貞吉編曲 独唱:関種子、松原操、内本実、青山薫 コロムビア合唱団、コロムビア・オーケストラ COL28642

・国民歌謡 我が家の唄 松原 操  西條八十作詞 山田耕筰作曲 12年3月 col29241 @黒盤

・赤とんぼ 松原 操 三木露風作詞 山田耕筰作曲 13年12月 COL29981 @ 黒盤13241

・この道  松原 操  北原白秋作詞 山田耕筰作曲 14年07月 COL30253 @ 黒盤14715

霧島昇・松原操の世界
h ttp://matubaramisao.com/kirisimanoboru&matubaramisao-cd-index.html
h ttps://www.youtube.com/watch?v=MUrkuBt0NoI





67 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/27(Sat) 12:30
h ttps://ameblo.jp/attentialgatto/entry-11542899735.html

代々木上原へ二代目松原操を聴きに行く
2013-06-01 23:28:36
テーマ:音楽
二代目松原操こと大滝てる子を聴きに代々木上原の古賀政男音楽博物館へ行って来た。会場はリアル満席。いちばん後ろにパイプ椅子を出すほど。
二代目というからには初代がいる訳で…ミス・コロムビアの名前でも知られた松原操は1948年に引退してしまっているので、その全盛期を知る人というのは80年配だろうなあ。二代目松原操こと大滝てる子は、この松原操、霧島昇夫妻の三女だそう。長男にあたる坂本紀男は東京音大の先生をしていて、過去にテレビ出演もしていたし、そのステージも実見したことがあるので知っていたけれど、三女も声楽家だったというのは、つい最近知ったばかり。
松原と書くと初代だか二代目だか紛らわしいので、以下、大滝と書くと、大滝も東京音大のオペラ科卒で、そもそもが霧島が東洋音楽学校時代の東京音大を出ているので、その影響もあるのだろうか。なお霧島夫人の初代松原操は東京音楽学校時代の東京芸大を出ているので、音楽一家ということになる。
戦前の歌手というのはクラシック畑の人が圧倒的に多数派で、女性歌手だと市丸だとか勝太郎だとか芸者出身の人もいたけれど、そうした例外はともかく、現在の演歌歌手のそれとは歌い方がまるで違っていた。戦前版の「目ン無い千鳥」「人生劇場」などを今様の演歌のイメージで聴くと、曲調は演歌のそれなのに歌い方が朗々とした感じで、慣れていない人は戸惑うんじゃないかと思う。
♪銀座の街、今日も暮れて、の「なつかしの歌声」で幕開け。
以下、演目は記憶があいまい。

「影を慕いて」(平均年齢73歳という合唱団による)
「気まぐれ涙」(初代松原操のレコード音源)
「ああそれなのに」
「二人は若い」
「目ン無い千鳥」
「新妻鏡」
「誰か故郷を想わざる」
「熱砂の誓い」
「リンゴは紅い」(歌なし、エレクトーン)
「青い牧場」
「南の花嫁さん」(古賀政男編曲として)
「そうだその意気」
「勝利の日まで」
「想い出の記」(古賀の台詞、歌唱のレコード音源)
〜幕間〜
「丘を越えて」
「悲しき竹笛」
「三百六十五夜」
「トンコ節」
「赤い靴のタンゴ」
「ゲイシャワルツ」
「柔」(歌なし、尺八、普通の太鼓)
「白虎隊」
「無法松の一生」(歌なし、尺八、巨大な太鼓)
「青春サイクリング」
ラストはグランドフィナーレで「東京ラプソディ」。




68 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/27(Sat) 12:57
当たり前だけど客席は年寄りが多いので、長丁場でダレてしまわないように、大滝が歌の合間に共演者いじりをして笑いを取ったり、客席に降りていって、「さあ、みなさんもご一緒に」のノリでマイクを向けたり、はたまた巨大な太鼓をステージに持ち込んでみたり、いろいろ工夫を凝らしたためか、最後まで2時間超、みんな集中力を切らすことなく、「東京ラプソディ」を満場の手拍子で終えた。

大滝は七変化のごとく、次々と衣装を替えていくのだけれど、何と1着を除いて初代の松原操の着ていたものを仕立て直したもののよう。そもそも初代の松原操は60年以上前に引退しているので、そのステージ衣装だとしたら、随分とカラフルな。

ステージは一応、古賀政男の人生をたどるという面持ちで、岡本妙子のナレーションが入り、その合間に大滝が出て来て歌うという内容。なので古賀政男縛りとなり、万城目正作曲の「旅の夜風」とかは歌わない。共演としてエレクトーンの長谷川幹人、尺八の岩田卓也、和太鼓の壱太郎、トランペットの岩尾浩史、マンドリンの宮田蝶子、平均年齢73歳の懐メロ楽唱団。

「影を慕いて」は大滝は出て来ず、平均年齢73歳の懐メロ楽唱団のコーラスだったのだけど、楽唱団の人たちがステージに出て来ず、舞台袖から姿を見せずに声だけという演出だったので、なんだか御詠歌のようだった。

大滝いわく、古賀メロディは歌いづらく、わけても「新妻鏡」は難曲だとのこと。古賀メロディが歌いにくいというのは藤山一郎も言っていたので、クラシック畑の人たちの共通認識なのだろうか。この辺の事情はいたく関心がある。

「誰か故郷を想わざる」は私が大好きな霧島昇の代表曲で、伯父が出征する時の写真に「花摘む野辺に日は落ちて」の歌詞の焼き込みがある。当時、写真に文字を焼き込んでくれるというサービスがあり、他の人は「武運長久」とか勇ましい文言にしたのに、なぜか伯父は流行歌の文句にした由。

「熱砂の誓い」はトランペットから入ったのだけど、岩尾浩史は嵐のツアーなどにも同行している由。トランペットを意識して聴くのって、ニニ・ロッソのレコードを昔に聴いた時以来だ。「リンゴは紅い」は長谷川幹人によるエレクトーン独奏だったのだけど、今日びのエレクトーンって、「二十四の瞳」に出てくるオルガンみたいなイメージでいたら、全然違うシロモノで、エレクトーン1つあればフルバンドはいらないという位だった。

戦時歌謡は「そうだその意気」のような悲壮な曲が好みなので、明るい曲調で歌詞も芸が無い「勝利の日まで」は以前は余り好きではなかったのだけど、津島恵子の「ひめゆりの塔」で歌われていたのを聴いて、世の中にこんな悲しい歌があるのかといっぺんで好きになった。

幕間に入る前に大滝が会場に来ている古賀政男ゆかりの人たちを紹介。古賀の養子の通人の奥さんと息子さん、古賀の兄の久次郎の息子さん、古関裕而、丘灯至夫、江口浩司の家族の人や長田暁二さんとか。

「丘を越えて」はマンドリンの曲なのだけど、宮田蝶子はハーモニカの宮田東峰の兄の孫にあたる。宮田っていうから何となくあやしいと思っていたのだけど、やっぱり一族だった。「悲しき竹笛」の前奏は本来は尺八の音域ではないのだけど、大滝の教え子にあたるらしい岩田卓也が熱演。「赤い靴のタンゴ」は真紅のライトを浴びて歌う大滝の背後に、巨大な和太鼓があって何ともシュールな感じ。大滝の声は奈良光枝の歌と相性がよさそう。「秋草の歌」とか歌ったらいいんじゃないか。

大滝が物心ついた時、霧島が「白虎隊」ばかり練習していたので、大滝の子供のころに慣れ親しんだ最初の曲というのが「白虎隊」だそう。霧島は詩吟の部分も含めて練習していたらしい。自分は霧島昇が好きなので、こうしたエピソードはいたく面白い。霧島はコスモスが好きだったとか。

後半戦でずっとステージに鎮座ましましていた巨大な和太鼓は、想像はついたのだけど「無法松の一生」用で、壱太郎が松五郎ばりの撥さばきを見せた。思うのだけど巨大な和太鼓を連打する音というのは、クラブに共通するものがあるような気がする。音が波動のように身体にズンと来るという部分で、目の前で巨大な和太鼓の音を浴びるのと、道玄坂とかのクラブのハコでエレクトロとかの音を浴びるのと、生理的には同じ快楽であるような気が。

とにもかくにも、命の洗濯という表現が似つかわしい2時間超であった。


69 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/29(Mon) 13:28
流行歌の世紀-近代日本の大衆音楽( 菊池清麿 )    
中山晋平・鳥取春陽・古賀政男・藤山一郎 古関裕而
《近代日本流行歌の成立-昭和歌謡の源流》
h ttp://www5e.biglobe.ne.jp/~spkmas/sub7.html



70 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/30(Tue) 11:45
2014年02月05日00:29
佐藤千夜子の『影を慕いて』
ディレクター・伊藤正憲記述に拠ると、古賀政男プロデビュー=コロムビア専属のきっかけになったのはコロムビア社員だった伊藤らしい。1931年(昭和6年)当時、営業部の伊藤は東京浅草「鳥越楽器店」でビクター発売『日本橋から(浜田広介作詩・古賀正男作曲編曲・佐藤千夜子歌唱・明治大学マンドリン倶楽部伴奏)』を見掛けた。歌手が佐藤千夜子でメロディも独特、驚いた伊藤はコロムビアの会議で伝えている。特に組み合わせ曲『影を慕いて(古賀正男作詩作曲編曲・佐藤千夜子歌唱・明治大学マンドリン倶楽部伴奏)』は、古賀を代表する作詩作品である。熱心な古賀ファンの方が次のような内容を述べられている。「1928年(昭和3年)、昭和の初め、人生の苦悩からはじまった古賀メロディの歴史、若き古賀政男の人生の苦悩から生れたレコード歌謡の最高傑作とされる『影を慕いて』。この歌には、古賀の人生の苦悩・絶望からの叫びが込められているといわれる。時代を超えた日本の名曲である。この歌が作られるのは『波浮の港(野口雨情作詩・中山晋平作曲・佐藤千夜子歌唱・中山晋平ピアノ伴奏)』と同じ昭和3年といわれる。現在ある殆どすべての日本の歌謡は、まだ存在していなかった時代。そして、菊池寛原作、日本最初の映画主題歌(※外資系企画での)である『東京行進曲(西条八十作詩・中山晋平作曲・井田一郎編曲・佐藤千夜子歌唱・日活管絃楽団伴奏)』が流行した昭和4年の6月22日、佐藤千夜子を招いて明治大学マンドリン倶楽部定期演奏会で『影を慕いて』初演(ギター合奏で独唱なし)。昭和5年10月20日、佐藤千夜子はビクタースタジオで吹込み。大衆音楽の黎明期、まだ一学生演奏家に過ぎなかった無名の作家の作品。ビクター内では反対もあっただろう、しかし佐藤千夜子のすごいところは、反対を押し切る形での録音だったことだ。古賀正男=古賀政男は明大マンドリン倶楽部を通じて、コロムビアの文芸部長・米山正から面会の申し入れを受ける。そして昭和6年3月20日付けで、日本コロムビア入社」。

『影を慕いて』が藤山一郎のアルバイト録音でヒット、佐藤オリジナルと同じ組み合わせ『日本橋から(関種子歌唱)』はモダンな井田一郎編曲。だが「素朴で豊かな味わい」なら佐藤千夜子。『影を慕いて』の佐藤は、古賀が綴った「想い」を高音域で燃え上がるように表現している。菊池清麿氏記述では、演奏曲だった『影を慕いて』を佐藤が気に入り「良いメロディだから、歌詩をつけて歌曲にしなさい」と言ったらしい。佐藤の助言で歌詩があとで作られたなら、『影を慕いて』初演後の作詩と思われる。更に『日本橋から』は、古賀が次のように述べている。「佐藤さんが、レコードは両面ですからね、とおっしゃられた。組み合わせ曲『日本橋から』を急いで作った」。ビクター発売番号「51519」の下表記番号=原盤番号で録音順がわかる。A面『日本橋から』は「2266」、B面曲『影を慕いて』が「2267」になっている。古賀のエピソードで、佐藤が元々『影を慕いて』をメイン曲と考えていたことも伝わる。レコーディング直前にビクター側から「浜田広介作詩をA面発売」と言われたようだ。

71 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/07/13(Mon) 15:51
歌にもブランドというものがあって、西条八十作詞や古賀政男作曲というのは歌謡界に生きる者、作詞家、作曲家、歌手にとっては
一度は得たい最高の憧れだったようである。

昭和36年11 月に出た村田英雄の「王将」(西城八十作詞、 船村徹作曲)もそうである、

西条八十に作詞してもらいたい船村に、西城はなかなかOKしなかったのだが、船村のお百度参りに、やっと書いてくれたのは有名。

なお、西城八十で一番多い名曲は古賀政男作曲(西条八十作詞、古賀政男作曲)である。

古賀政男といえば、どの作詞家、作曲家、歌手も「古賀先生」と呼んだのだが、その古賀が終生、「先生・・西条先生」と呼んだのが西条八十その人。、



72 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/07/21(Tue) 10:33
>>63-69
参考

松原操 写真

h ttps://www.bing.com/images/search?q=%E6%9D%BE%E5%8E%9F%E6%93%8D+%E5%86%99%E7%9C%9F&qpvt=%e6%9d%be%e5%8e%9f%e6%93%8d+%e5%86%99%e7%9c%9f&form=IGRE&first=1&cw=1117&ch=383&scenario=ImageBasicHover


73 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/07/21(Tue) 19:56
愛染かつら三部作

愛染かつら         (西條八十作詞万城目正作曲)
    主題歌 旅の夜風    霧島昇 ミス・コロムビア
    挿入歌 悲しき子守唄  ミス・コロムビア
続・愛染かつら
    主題歌 愛染夜曲    霧島昇 ミス・コロムビア
    挿入歌 朝月夕月    ミス・コロムビア
愛染かつら・完結編
    主題歌 愛染草紙    霧島昇 ミス・コロムビア 
    挿入歌 荒野(あれの)の夜風   ミス・コロムビア、二葉あき子

 

74 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/07/21(Tue) 20:04

        十九の春

   (西條八十作詞 江口夜詩作曲)
    歌:ミス・コロムビア(松原操)

 ながす涙も   輝きみちし
 あわれ十九の  春よ春
 すみれつみつつ 散る白露に
 泣きし十九の  春よ春

 君はやさしく 涙は甘く
 唄をうたえば 花散りぬ
 乙女振袖   ゆく白雲も
 われを眺めて 流れゆく

 我世さみしと 嘆くな小鳥
 春はまだ来る 花も咲く
 愛の光に   夜はほのぼのと
 明けて十九の 春よ春

75 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/07/21(Tue) 22:30
>>73

■愛染かつら三部作

愛染かつら         
    主題歌 旅の夜風 (西條八十作詞,万城目正作曲)  霧島昇 ミス・コロムビア
    挿入歌 悲しき子守唄(西條八十作詞,竹岡信幸作曲)   ミス・コロムビア

続・愛染かつら
    主題歌 愛染夜曲   (西條八十作詞,万城目正作曲) 霧島昇 ミス・コロムビア
    挿入歌 朝月夕月   (西條八十作詞,竹岡信幸作曲) ミス・コロムビア

愛染かつら・完結編
    主題歌 愛染草紙   (西條八十作詞,万城目正作曲) 霧島昇 ミス・コロムビア 
    挿入歌 荒野(あれの)の夜風 (西條八十作詞,早乙女光作曲)ミス・コロムビア、二葉あき子

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