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芥川龍之介に対する卒業研究の提出用板

1 名前:有村 ◆7M88x/CE 投稿日:2013/08/04(Sun) 16:17
題名の通りです。
キリ番取りはやめてください。
むだなことは書かないでください。
あくまでも提出用板です。

荒らし禁止。
成り済まし禁止。
個人情報の書き込み禁止。
AAを貼るの禁止。
私はここで起こった一切のトラブルに責任を持たない。

2 名前:有村 ◆7M88x/CE 投稿日:2013/08/04(Sun) 16:18
一応

<<考えている方針>>
班員をA,B,Cとします。
T
@まず、1と2を全員考える。(やるひと→A,B,C) ← 8月4日17:00提出
Aそれをもとに1と2をまとめる。(やるひと→1:A、2:B) ←8月7日15:00提出
★B,Cが1をC,Aが2を検査的なことをする。←8月7日18:00提出
【☆そのまとめられたものをもとに3を全員考える。(やるひと→A,B,C)←8月9日18:00提出】←やらない可能性がある
B3をまとめる(やるひと→C) 8月11日18:00提出 (☆をやらないときは8月10日18:00提出)
*A,Bが3に検査的なことをする。←8月11日21:00提出(☆をやらないときは8月10日21:00提出)
C4を作るというか話し合う。(やるひと→A,B,C)←8月12日24:00までにする。
D「パーツがそろった」のでそれらを全部ワードにコピペする。(できる人は印刷までする。)←学校始まる日まで。

α本文作る←なるべく早く(そうでないと私の語彙プリントがつくれません。)
β語彙プリント作る←学校始まる日まで。

とりあえず全員に今日の法事以外何の用事もないとしたときはこのような日程にしたいです。都合が悪い時は書き込んでください。

3 名前:ヒヨラ ◆5fai6fC6 投稿日:2013/08/04(Sun) 16:53
先に貼って。

4 名前:ヒヨラ ◆5fai6fC6 投稿日:2013/08/04(Sun) 16:56
おおおい

5 名前:有村 ◆7M88x/CE 投稿日:2013/08/04(Sun) 16:57
ちょっと待ってください。どこで区切るか迷ってる。

6 名前:有村 ◆7M88x/CE 投稿日:2013/08/04(Sun) 16:57
今から貼るからなにもかかないでね

7 名前:有村 ◆7M88x/CE 投稿日:2013/08/04(Sun) 16:58
1登場人物の役割
@)主な登場人物について

@五位
「五位」とは位の一つで昇殿(平安時代以降、五位以上の者および六位の蔵人(くろうど)が、家格や功績によって宮中の清涼殿にある殿上(てんじょう)の間(ま)に昇ること)を許される者の下位を示す。この人は男でありこの男についてはいろいろな記述があった。以下にその一部を示す。

『風采の甚だ上がらない男であつた。第一背が低い。それから赤鼻で、眼尻が下つてゐる。口髭は勿論薄い。頬が、こけてゐるから、顎が、人並はづれて、細く見える。唇は――一々、数へ立ててゐれば、際限はない。我五位の外貌はそれ程、非凡に、だらしなく、出来上つてゐたのである』

『第一彼には着物らしい着物が一つもない。青(あお)鈍(にび)の水干と、同じ色の指貫(さしぬき)とが一つづつあるのが、今ではそれが上(うわ)白(じろ)んで、藍とも紺とも、つかないやうな色に、なつてゐる。・・・・』

『有(う)位(い)無位(むい)、併せて二十人に近い下役さへ、彼の出入りには、不思議な位、冷淡を極めてゐる。五位が何か云ひつけても、決して彼等同志の雑談をやめた事はない。彼等にとつては、空気の存在が見えないやうに、五位の存在も、眼を遮(さえぎ)らないのであらう。』

『彼は、一切の不正を、不正として感じない程、意気地のない、臆病な人間だつたのである。』

このような記述や本文から「五位」は顔は良くなく、性格も格別いいわけでもない何のとりえもない人間だということが読み取れる。また揶揄を言われても全く動じず無感覚ではあったが彼には「芋粥をあきるほど飲む」という唯一の欲望があった。


A藤原利仁
この男は実在する平安時代の有名な武人である。この男は民部卿時長のこどもである。物語内では五位に芋粥をたくさん食べさせてやると言って、五位を敦賀に案内した。





8 名前:有村 ◆7M88x/CE 投稿日:2013/08/04(Sun) 16:58
B狐
これは藤原利仁の

「其方、今夜の中に、敦賀の利仁が館(やかた)へ参つて、かう申せ。『利仁は、唯今俄(にはか)に客人を具して下らうとする所ぢや。明日、巳時(みのとき)頃、高島の辺まで、男たちを迎ひに遣(つか)はし、それに、鞍置馬二疋、牽かせて参れ。』

という命令を忠実に守った動物であり、利仁が枯野の路で手取りにした阪本の野狐である。物語の最後には、利仁の家来が五位の為に用意した芋粥を藤原利仁の厚意で飲んだ。

『芋粥』に出てくる主な登場人物は以上の3名である。この3名がどのような関連性を持っているかを次の項目で説明する。



9 名前:有村 ◆7M88x/CE 投稿日:2013/08/04(Sun) 16:59
A)主な登場人物の関連性
前述の五位についての説明は一つ不可解な部分があったと思う。それは「名前がない」ということだ。そう、書き忘れたわけではなく五位には名前がないのだ。主人公ともいえる人間になぜ名前がないのだろうか。
ここで残る2人の主な登場人物に注目しよう。


@まずは、藤原利仁である。彼は自身の言った通りに芋粥を五位に食べさせてあげようとした。だが、五位が食べるのを薦める表現にこのようなものがあった。

『「父も、さう申すぢやて。平(ひら)に、遠慮は御無用ぢや。」
 利仁も側から、新な提をすすめて、意地悪く笑ひながらこんな事を云ふ。』

この「意地悪く」という表現はこのようなことを示しているのではないかと考えられる。利仁は五位はあまり芋粥を食べられないことが分かっていた。それは、今まで我慢していた「芋粥をあきるくらい食べる」ということがいとも簡単に成立してしまうからである。利仁はこのような人間の心理を知っていた。だから、五位がもう芋粥はいらないというのをわかっていたのである。このようなことになると知っていたのでおかしくて仕方がなかったのだろう。つまり利仁にとって五位は人間ではなく、道具でしかないのだ。

A次は狐である。皮肉にも人間である.五位は芋粥を満足な気持ちで食べられなかったのに対し、人間でない狐は満足な気持ちで食べた。これは利仁の出した狐に対する褒美ではないかと考えられる。何の苦労もしていない人間が欲望をかなえてもらえるなんて人間界ではふつうは通用しない考えである。





10 名前:有村 ◆7M88x/CE 投稿日:2013/08/04(Sun) 16:59
2芋粥の役割
@)芋粥とは
まず芋粥はどのようなものなのか。当時の人々にとってどのようなものだったのか。このようなことを知らないと研究することはできないだろう。


芋粥とは「さいの目に切ったサツマイモを入れて炊いた粥」のことである。また、昔のものはヤマノイモを薄く切りアマズラ(つる草の一種)の汁で炊いた粥状のものであった。また昔は宮中の大饗(平安時代に宮中または大臣家で正月に行った大がかりな宴会のこと)で用いられたほど高級であったので、五位は一年に一度食べられればいい方だったという。


A)芋粥の価値
この作品の題名は「芋粥」であるということから芋粥が主人公に大きな影響を及ぼしていると考えるのはそう難くない。五位は芋粥に対してどのような価値観を持っていたのだろうか。



11 名前:有村 ◆7M88x/CE 投稿日:2013/08/04(Sun) 17:00
@五位の芋粥に関する記述は以下のようなものがあった。


『五位は五六年前から芋粥(いもがゆ)と云ふ物に、異常な執着を持つてゐる。芋粥とは山の芋を中に切込んで、それを甘葛(あまづら)の汁で煮た、粥の事を云ふのである。当時はこれが、無上の佳味として、上は万乗(ばんじよう)の君の食膳にさへ、上せられた。従つて、吾五位の如き人間の口へは、年に一度、臨時の客の折にしか、はいらない。その時でさへ、飲めるのは僅に喉(のど)を沾(うるほ)すに足る程の少量である。そこで芋粥を飽きる程飲んで見たいと云ふ事が、久しい前から、彼の唯一の欲望になつてゐた。勿論、彼は、それを誰にも話した事がない。いや彼自身さへそれが、彼の一生を貫いてゐる欲望だとは、明白に意識しなかつた事であらう。が事実は彼がその為に、生きてゐると云つても、差支(さしつかへ)ない程であつた。』


このような記述から五位にとって芋粥は高嶺の花のような存在であったことが読み取れる。だからこそ、五位にとって芋粥をたくさん食べるということはとても価値があったのだが、なぜか五位は芋粥を食べられなかったのである。


Aまた、狐にとって芋粥はどのようなものなのだろうか。

狐の芋粥に対する記述は以下のようなものがあった


『「狐も、芋粥が欲しさに、見参したさうな。男ども、しやつにも、物を食はせてつかはせ。」
 利仁の命令は、言下(ごんか)に行はれた。軒からとび下りた狐は、直に広庭で芋粥の馳走に、与(あづか)つたのである。
 五位は、芋粥を飲んでゐる狐・・・』

これは、利仁が狐に芋粥をやる時の発言である。狐は五位と同様に芋粥を欲しがっていたが、五位とは違い嬉しそうに食べた。

Bどのような違いがあるのか。それは「労働をした」という点である。狐は芋粥を食べる前に前述のような役目を果たしたのに対し、五位は独り言を利仁にたまたま聞いてもらったおかげで、芋粥を食べることになった。このことに五位は罪悪感を感じていたのではないかと推測することができる。



12 名前:有村 ◆7M88x/CE 投稿日:2013/08/04(Sun) 17:04
>>7-11の著作権は有村に属すものとします。私の許可なしには一文のコピーも認めません。

13 名前:ヒヨラ ◆//ROfdF. 投稿日:2013/08/04(Sun) 17:07
1、 登場人物の役割

@) 五位について
 ・ 摂政藤原基経に仕えている侍


・ 『この男が、何時(いつ)、どうして、基経に仕へるやうになつたのか、それは誰も知つてゐない。が、余程以前から、同じやうな色の褪(さ)めた水干(すゐかん)に、同じやうな萎々(なえなえ)した烏帽子(ゑぼし)をかけて、同じやうな役目を、飽きずに、毎日、繰返してゐる事だけは、確である。その結果であらう、今では、誰が見ても、この男に若い時があつたとは思はれない。(五位は四十を越してゐた。)その代り、生れた時から、あの通り寒むさうな赤鼻と、形ばかりの口髭とを、朱雀大路(すざくおほぢ)の衢風(ちまたかぜ)に、吹かせてゐたと云ふ気がする。上(かみ)は主人の基経から、下(しも)は牛飼の童児まで、無意識ながら、悉(ことごとく)さう信じて疑ふ者がない。』
                        

 ・『五位は、風采の甚(はなはだ)揚(あが)らない男であつた。第一背が低い。それから赤鼻で、眼尻が下つてゐる。口髭は勿論薄い。頬が、こけてゐるから、頤(あご)が、人並はづれて、細く見える。唇は――一々、数へ立ててゐれば、際限はない。我五位の外貌はそれ程、非凡に、だらしなく、出来上つてゐたのである。』


・第一彼には着物らしい着物が一つもない。青鈍(あをにび)の水干と、同じ色の指貫(さしぬき)とが一つづつあるのが、今ではそれが上白(うはじろ)んで、藍(あゐ)とも紺とも、つかないやうな色に、なつてゐる。水干はそれでも、肩が少し落ちて、丸組の緒や菊綴(きくとぢ)の色が怪しくなつてゐるだけだが、指貫になると、裾のあたりのいたみ方が一通りでない。その指貫の中から、下の袴もはかない、細い足が出てゐる。                                                                                                                        
・ 佩(は)いてゐる太刀も、頗る覚束(おぼつか)ない物で、柄(つか)の金具も如何(いかが)はしければ、黒鞘の塗も剥げかかつてゐる。  ・


これらつの点から五位が相当みっともないということは、某元剣道部S君が体当たりしても動かすことの出来ない事実である。 



14 名前:ヒヨラ ◆//ROfdF. 投稿日:2013/08/04(Sun) 17:08
また、

『侍所(さぶらひどころ)にゐる連中は、五位に対して、殆ど蠅(はへ)程の注意も払はない。有位(うゐ)無位(むゐ)、併せて二十人に近い下役さへ、彼の出入りには、不思議な位、冷淡を極めてゐる。五位が何か云ひつけても、決して彼等同志の雑談をやめた事はない。彼等にとつては、空気の存zすれば、別当とか、侍所の司(つかさ)とか云ふ上役たちが頭から彼を相手にしないのは、寧(むし)

と、上のように五位は身分の上下関係なく、冷遇されているわけである。

また、五位が多くの人々にいかに冷遇されているのかということと、また、その五位へのいやがらせに対する五位の反応がさらに馬鹿にされる原因となっているということとして、下のものもあると考えられる。


『彼等は、五位に対すると、殆ど、子供らしい無意味な悪意を、冷然とした表情の後に隠して、何を云ふのでも、手真似だけで用を足した。人間に、言語があるのは、偶然ではない。従つて、彼等も手真似では用を弁じない事が、時々ある。が、彼等は、それを全然五位の悟性に、欠陥があるからだと、思つてゐるらしい。そこで彼等は用が足りないと、この男の歪んだ揉(もみ)烏帽子の先から、切れかかつた藁草履(わらざうり)の尻まで、万遍なく見上げたり、見下したりして、それから、鼻で哂(わら)ひながら、急に後を向いてしまふ。』

『それでも、五位は、腹を立てた事がない。彼は、一切の不正を、不正として感じない程、意気地のない、臆病な人間だつたのである。』


『同僚の侍たちになると、進んで、彼を飜弄(ほんろう)しようとした。年かさの同僚が、彼れの振はない風采を材料にして、古い洒落(しやれ)を聞かせようとする如く、年下の同僚も、亦それを機会にして、所謂(いはゆる)興言利口(きようげんりこう)の練習をしようとしたからである。彼等は、この五位の面前で、その鼻と口髭と、烏帽子と水干とを、品隲(ひんしつ)して飽きる事を知らなかつた。そればかりではない。彼が五六年前に別れたうけ唇(くち)の女房と、その女房と関係があつたと云ふ酒のみの法師とも、屡(しばしば)彼等の話題になつた。その上、どうかすると、彼等は甚(はなはだ)、性質(たち)の悪い悪戯(いたづら)さへする。それを今一々、列記する事は出来ない。が、彼の篠枝(ささえ)の酒を飲んで、後(あと)へ尿(いばり)を入れて置いたと云ふ事を書けば、その外は凡(およそ)、想像される事だらうと思ふ。』

『しかし、五位はこれらの揶揄(やゆ)に対して、全然無感覚であつた。少くもわき眼には、無感覚であるらしく思はれた。彼は何を云はれても、顔の色さへ変へた事がない。黙つて例の薄い口髭を撫でながら、するだけの事をしてすましてゐる。』



15 名前:ヒヨラ ◆//ROfdF. 投稿日:2013/08/04(Sun) 17:10
『同僚の悪戯が、嵩(かう)じすぎて、髷(まげ)に紙切れをつけたり、太刀(たち)の鞘(さや)に草履を結びつけたりすると』

『彼は笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔をして、「いけぬのう、お身たちは。」と云ふ。』


『或る日、五位が三条坊門を神泉苑の方へ行く所で、子供が六七人、路ばたに集つて、何かしてゐるのを見た事がある。「こまつぶり」でも、廻してゐるのかと思つて、後ろから覗いて見ると、何処(どこ)かから迷つて来た、尨犬(むくいぬ)の首へ繩をつけて、打つたり殴(たた)いたりしてゐるのであつた。』

『臆病な五位は、これまで何かに同情を寄せる事があつても、あたりへ気を兼ねて、まだ一度もそれを行為に現はしたことがない。が、この時だけは相手が子供だと云ふので、幾分か勇気が出た。そこで出来るだけ、笑顔をつくりながら、年かさらしい子供の肩を叩いて、「もう、堪忍してやりなされ。犬も打たれれば、痛いでのう」と声をかけた。』
『その子供はふりかへりながら、上眼を使つて、蔑(さげ)すむやうに、ぢろぢろ五位の姿を見た。云はば侍所の別当が用の通じない時に、この男を見るやうな顔をして、見たのである。「いらぬ世話はやかれたうもない。」その子供は一足下りながら、高慢な唇を反らせて、かう云つた。「何ぢや、この鼻赤めが。」』

『五位はこの語(ことば)が自分の顔を打つたやうに感じた。が、それは悪態をつかれて、腹が立つたからでは毛頭ない。云はなくともいい事を云つて、恥をかいた自分が、情なくなつたからである。』


以上のことより、五位がいかに冷遇され、五位がいやがらせを受け、それに対する五位の応対の仕方がさらに五位へのいやがらせに拍車をかけているかがわかる。



次に話の展開のため、ようやく題名でもある芋粥がでてくる。

『この話の主人公は、唯、軽蔑される為にのみ生れて来た人間で、別に何の希望も持つてゐないかと云ふと、さうでもない。五位は五六年前から芋粥(いもがゆ)と云ふ物に、異常な執着を持つてゐる。』

いままでの流れでいくと、文中にもあるように五位は
『軽蔑される為にのみ生れて来た人間で、別に何の希望も持つてゐない』
ように見えるがここで五位が芋粥に異常な執着を持っているとすることで、
芋粥がこの物語において、重要な意味を持っているのではないかと読者に推測させる。



16 名前:ヒヨラ ◆//ROfdF. 投稿日:2013/08/04(Sun) 17:11
A)利仁について
  ・『民部卿時長の子藤原利仁(としひと)である』
  ・『肩幅の広い、身長(みのたけ)の群を抜いた逞(たくま)しい大男』
  ・『錆(さび)のある、鷹揚(おうやう)な、武人らしい声』
  ・『敦賀の人、藤原有仁(ありひと)の女婿(ぢよせい)になつてから、多くは敦賀に住んでゐる』





17 名前:ヒヨラ ◆//ROfdF. 投稿日:2013/08/04(Sun) 17:11


2、芋粥の役割

@)芋粥とは(京都編)
本文より、
『芋粥とは山の芋を中に切込んで、それを甘葛(あまづら)の汁で煮た、粥の事を云ふのである。当時はこれが、無上の佳味として、上は万乗(ばんじよう)の君の食膳にさへ、上せられた。従つて、吾五位の如き人間の口へは、年に一度、臨時の客の折にしか、はいらない。その時でさへ、飲めるのは僅に喉(のど)を沾(うるほ)すに足る程の少量である。そこで芋粥を飽きる程飲んで見たいと云ふ事が、久しい前から、彼の唯一の欲望になつてゐた。勿論、彼は、それを誰にも話した事がない。いや彼自身さへそれが、彼の一生を貫いてゐる欲望だとは、明白に意識しなかつた事であらう。が事実は彼がその為に、生きてゐると云つても、差支(さしつかへ)ない程であつた』

と、上のようなものである。

『或年の正月二日、基経の第(だい)に、所謂(いはゆる)臨時の客があつた時の事である。(臨時の客は二宮(にぐう)の大饗(だいきやう)と同日に摂政関白家が、大臣以下の上達部(かんだちめ)を招いて催す饗宴で、大饗と別に変りがない。)五位も、外の侍たちにまじつて、その残肴(ざんかう)の相伴(しやうばん)をした。当時はまだ、取食(とりば)みの習慣がなくて、残肴は、その家の侍が一堂に集まつて、食ふ事になつてゐたからである。尤(もつと)も、大饗に等しいと云つても昔の事だから、品数の多い割りに碌な物はない、餅、伏菟(ふと)、蒸鮑(むしあはび)、干鳥(ほしどり)、宇治の氷魚(ひを)、近江(あふみ)の鮒(ふな)、鯛の楚割(すはやり)、鮭の内子(こごもり)、焼蛸(やきだこ)、大海老(おほえび)、大柑子(おほかうじ)、小柑子、橘、串柿などの類(たぐひ)である。唯、その中に、例の芋粥があつた。五位は毎年、この芋粥を楽しみにしてゐる。が、何時も人数が多いので、自分が飲めるのは、いくらもない。それが今年は、特に、少かつた。さうして気のせゐか、何時もより、余程味が好い。』



18 名前:ヒヨラ ◆//ROfdF. 投稿日:2013/08/04(Sun) 17:12
上のように五位は貴族のなかでも身分が下の方のため、芋粥を好きなだけ食べることができない。

その時、

五位が
『彼は飲んでしまつた後の椀をしげしげと眺めながら、うすい口髭についてゐる滴(しづく)を、掌で拭いて誰に云ふともなく、「何時になつたらこれに飽ける事かのう」と、かう云つた。』
すると、利仁が
『「大夫殿は、芋粥に飽かれた事がないさうな。」』
といった。

その後、
『「お気の毒な事ぢやの。」利仁は、五位が顔を挙げたのを見ると、軽蔑と憐憫(れんびん)とを一つにしたやうな声で、語を継いだ。「お望みなら、利仁がお飽かせ申さう。」
 始終、いぢめられてゐる犬は、たまに肉を貰つても容易によりつかない。五位は、例の笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔をして、利仁の顔と、空(から)の椀とを等分に見比べてゐた。
「おいやかな。」
「……」
「どうぢや。」
「……」
 五位は、その中に、衆人の視線が、自分の上に、集まつてゐるのを感じ出した。答へ方一つで、又、一同の嘲弄を、受けなければならない。或は、どう答へても、結局、莫迦(ばか)にされさうな気さへする。彼は躊躇(ちうちよ)した。もし、その時に、相手が、少し面倒臭そうな声で、「おいやなら、たつてとは申すまい」と云はなかつたなら、五位は、何時(いつ)までも、椀と利仁とを、見比べてゐた事であらう。
 彼は、それを聞くと、慌(あわただ)しく答へた。
「いや……忝(かたじけな)うござる。」
 この問答を聞いてゐた者は、皆、一時に、失笑した。「いや……忝うござる。」――かう云つて、五位の答を、真似る者さへある。所謂、橙黄橘紅(とうくわうきつこう)を盛つた窪坏(くぼつき)や高坏の上に多くの揉(もみ)烏帽子や立(たて)烏帽子が、笑声と共に一しきり、波のやうに動いた。中でも、最(もつとも)、大きな声で、機嫌よく、笑つたのは、利仁自身である。
「では、その中に、御誘ひ申さう。」さう云ひながら、彼は、ちよいと顔をしかめた。こみ上げて来る笑と今飲んだ酒とが、喉で一つになつたからである。「……しかと、よろしいな。」
「忝うござる。」
 五位は赤くなつて、吃(ども)りながら、又、前の答を繰返した。一同が今度も、笑つたのは、云ふまでもない。それが云はせたさに、わざわざ念を押した当の利仁に至つては、前よりも一層可笑(をか)しさうに広い肩をゆすつて、哄笑(こうせう)した。この朔北(さくほく)の野人は、生活の方法を二つしか心得てゐない。一つは酒を飲む事で、他の一つは笑ふ事である。』



19 名前:ヒヨラ ◆//ROfdF. 投稿日:2013/08/04(Sun) 17:13
上の文で一番大切なのは、、なぜ、利仁が五位に芋粥を好きなだけ食べさせてみたいと
思ったかである。それは
『この朔北(さくほく)の野人は、生活の方法を二つしか心得てゐない。一つは酒を飲む事で、他の一つは笑ふ事である。』

と、ここの文で、利仁のことを「朔北の野人」と表していることが、ポイントである。
つまり、「朔北の野人」ということは都の人々とは違うということである。

珍しく、五位に同情していたひとも、『丹波(たんば)の国から来た男で、まだ柔かい口髭が、やつと鼻の下に、生えかかつた位の青年』と表されていたように五位に同情を寄せたり、五位を喜ばせてあげようとしたりする人は、都の人ではないのではないかということが考えられる。
つまり、利仁が五位に芋粥を好きなだけ食べさせてあげたいと思ったのは、都の人間でないからだと推測される。利仁が五位をからかっているだけではないか、という考えは
『この問答を聞いてゐた者は、皆、一時に、失笑した。「いや……忝うござる。」――かう云つて、五位の答を、真似る者さへある。所謂、橙黄橘紅(とうくわうきつこう)を盛つた窪坏(くぼつき)や高坏の上に多くの揉(もみ)烏帽子や立(たて)烏帽子が、笑声と共に一しきり、波のやうに動いた。中でも、最(もつとも)、大きな声で、機嫌よく、笑つたのは、利仁自身である。「では、その中に、御誘ひ申さう。」さう云ひながら、彼は、ちよいと顔をしかめた。こみ上げて来る笑と今飲んだ酒とが、喉で一つになつたからである。「……しかと、よろしいな。」
「忝うござる。」
 五位は赤くなつて、吃(ども)りながら、又、前の答を繰返した。一同が今度も、笑つたのは、云ふまでもない。それが云はせたさに、わざわざ念を押した当の利仁に至つては、前よりも一層可笑(をか)しさうに広い肩をゆすつて、哄笑(こうせう)した。』
というところから、推測されるが、五位と利仁が敦賀についてから、利仁が五位に対してとても親切にしてくれたことから、ただ単にからかっているだけではなく五位を喜ばせようという気持ちもあったとかんがえられる。。


『お望みなら、利仁がお飽かせ申さう。』という利仁の提案に対して、

五位は
『笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔をして、利仁の顔と、空(から)の椀とを等分に見比べてゐた。』
そして、
『「いや……忝(かたじけな)うござる。」』
と答えた。

五位の受けごたえをうけて、
『「いや……忝うござる。」――かう云つて、五位の答を、真似る者さへある。』
とあるように相変わらずいじめられていることは確かである。
A)芋粥とは(敦賀へ向かう道中において)

『それから、四五日たつた日の午前、加茂川の河原に沿つて、粟田口(あはたぐち)へ通ふ街道を、静に馬を進めてゆく二人の男があつた。一人は濃い縹(はなだ)の狩衣(かりぎぬ)に同じ色の袴をして、打出(うちで)の太刀を佩(は)いた「鬚黒く鬢(びん)ぐきよき」男である。もう一人は、みすぼらしい青鈍(あをにび)の水干に、薄綿の衣(きぬ)を二つばかり重ねて着た、四十恰好の侍で、これは、帯のむすび方のだらしのない容子(ようす)と云ひ、赤鼻でしかも穴のあたりが、洟(はな)にぬれてゐる容子と云ひ、身のまはり万端のみすぼらしい事夥(おびただ)しい。尤も、馬は二人とも、前のは月毛(つきげ)、後のは蘆毛(あしげ)の三歳駒で、道をゆく物売りや侍も、振向いて見る程の駿足である。その後から又二人、馬の歩みに遅れまいとして随(つ)いて行くのは、調度掛と舎人(とねり)とに相違ない。――これが、利仁と五位との一行である事は、わざわざ、ここに断るまでもない話であらう。
 冬とは云ひながら、物静に晴れた日で、白けた河原の石の間、潺湲(せんくわん)たる水の辺(ほとり)に立枯れてゐる蓬(よもぎ)の葉を、ゆする程の風もない。川に臨んだ背の低い柳は、葉のない枝に飴(あめ)の如く滑かな日の光りをうけて、梢(こずゑ)にゐる鶺鴒(せきれい)の尾を動かすのさへ、鮮かに、それと、影を街道に落してゐる。東山の暗い緑の上に、霜に焦げた天鵞絨(びろうど)のやうな肩を、丸々と出してゐるのは、大方、比叡(ひえい)の山であらう。二人はその中に鞍(くら)の螺鈿(らでん)を、まばゆく日にきらめかせながら鞭をも加へず悠々と、粟田口を指して行くのである。


20 名前:ヒヨラ ◆//ROfdF. 投稿日:2013/08/04(Sun) 17:13
「どこでござるかな、手前をつれて行つて、やらうと仰せられるのは。」五位が馴れない手に手綱をかいくりながら、云つた。
「すぐ、そこぢや。お案じになる程遠くはない。」
「すると、粟田口辺でござるかな。」
「まづ、さう思はれたがよろしからう。」
 利仁は今朝五位を誘ふのに、東山の近くに湯の湧いてゐる所があるから、そこへ行かうと云つて出て来たのである。赤鼻の五位は、それを真(ま)にうけた。久しく湯にはいらないので、体中がこの間からむづ痒(がゆ)い。芋粥の馳走になつた上に、入湯が出来れば、願つてもない仕合せである。かう思つて、予(あらかじ)め利仁が牽かせて来た、蘆毛の馬に跨(またが)つた。所が、轡(くつわ)を並べて此処まで来て見ると、どうも利仁はこの近所へ来るつもりではないらしい。現に、さうかうしてゐる中に、粟田口は通りすぎた。
「粟田口では、ござらぬのう。」
「いかにも、もそつと、あなたでな。」
 利仁は、微笑を含みながら、わざと、五位の顔を見ないやうにして、静に馬を歩ませてゐる。両側の人家は、次第に稀になつて、今は、広々とした冬田の上に、餌をあさる鴉(からす)が見えるばかり、山の陰に消残つて、雪の色も仄(ほのか)に青く煙つてゐる。晴れながら、とげとげしい櫨(はじ)の梢が、眼に痛く空を刺してゐるのさへ、何となく肌寒い。
「では、山科(やましな)辺ででもござるかな。」
「山科は、これぢや。もそつと、さきでござるよ。」
 成程、さう云ふ中に、山科も通りすぎた。それ所ではない。何かとする中に、関山も後にして、彼是(かれこれ)、午(ひる)少しすぎた時分には、とうとう三井寺の前へ来た。三井寺には、利仁の懇意にしてゐる僧がある。二人はその僧を訪ねて、午餐(ひるげ)の馳走になつた。それがすむと、又、馬に乗つて、途を急ぐ。行手は今まで来た路に比べると遙に人煙が少ない。殊に当時は盗賊が四方に横行した、物騒な時代である。――五位は猫背を一層低くしながら、利仁の顔を見上げるやうにして訊ねた。
「まだ、さきでござるのう。」
 利仁は微笑した。悪戯(いたづら)をして、それを見つけられさうになつた子供が、年長者に向つてするやうな微笑である。鼻の先へよせた皺(しわ)と、眼尻にたたへた筋肉のたるみとが、笑つてしまはうか、しまふまいかとためらつてゐるらしい。さうして、とうとう、かう云つた。
「実はな、敦賀(つるが)まで、お連れ申さうと思うたのぢや。」

上の文中において
『利仁は今朝五位を誘ふのに、東山の近くに湯の湧いてゐる所があるから、そこへ行かうと云つて出て来たのである。』

とあるが、利仁は実際、
『「実はな、敦賀(つるが)まで、お連れ申さうと思うたのぢや。」』
と言っている。

なぜ、敦賀に行くのに、東山の温泉に行くと言ったのかは想像に難くない。
それは、五位が臆病だからである。
これは
『意気地のない、臆病な人間だつたのである。』
という本文中より読み取ることができる。
もし、これを利仁が最初から、
『敦賀(つるが)まで、お連れ申さうと思うたのぢや』
と言ったら、五位は出かけるのをなかなか決心しなかっただろう。

それに利仁は五位を驚かせようと考えていたのではないかということも推測される。
今で言う「サプライズ」である。






21 名前:ヒヨラ ◆//ROfdF. 投稿日:2013/08/04(Sun) 17:14
B)芋粥とは(敦賀編)

五位は敦賀に着いたその日の夜、
五位と利仁を迎えに来た白髪の郎等の 
『「この辺の下人、承はれ。殿の御意遊ばさるるには、明朝、卯時(うのとき)までに、切口三寸、長さ五尺の山の芋を、老若各(おのおの)、一筋づつ、持つて参る様にとある。忘れまいぞ、卯時までにぢや。」』

という声を聞いた。

明け方、五位は

『釜の下から上る煙と、釜の中から湧く湯気とが、まだ消え残つてゐる明方の靄と一つなつて、広庭一面、はつきり物も見定められない程、灰色のものが罩(こ)めた中で、赤いのは、烈々と燃え上る釜の下の焔ばかり、眼に見るもの、耳に聞くもの悉く、戦場か火事場へでも行つたやうな騒ぎである。五位は、今更のやうに、この巨大な山の芋が、この巨大な五斛納釜の中で、芋粥になる事を考へた。さうして、自分が、その芋粥を食ふ為に京都から、わざわざ、越前の敦賀まで旅をして来た事を考へた。考へれば考へる程、何一つ、情無くならないものはない。我五位の同情すべき食慾は、実に、此時もう、一半を減却(げんきやく)してしまつたのである。』

そして、朝飯の時間になっても明け方、食欲がなくなったままであった。
『中にはどれも芋粥が、溢(あふ)れんばかりにはいつてゐる。五位は眼をつぶつて、唯でさへ赤い鼻を、一層赤くしながら、提に半分ばかりの芋粥を大きな土器(かはらけ)にすくつて、いやいやながら飲み干した。』

つまり、五位は芋粥が作られるのを見ただけで、それまでずっと持ち続けていた
「芋粥を飽きるほど食べたい」という願望が萎えてしまったのである。

それは偶然だったのであろうか。いや必然である。
希望や願望というのは、努力の一つもなしにいきなり叶えられてしまうと、実感がなく、
喜びも感じられないものなのである。作者はそういうことを読者に伝えたかったのでは
ないだろうか。


22 名前:ヒヨラ ◆//ROfdF. 投稿日:2013/08/04(Sun) 17:21
狐がなぜあんなことができたのかを考えてみました。
すると、狐は天上で悪行をし、下界に落とされた天使の化身であることが判明した。
利仁はその狐を監視するよう神に頼まれ、下界に降りてきた神の使いであることがわかった。
五位が敦賀に行く途中、「二人だけじゃ不安じゃの。」と言った時、利仁は
大丈夫といったが、それもそのはず。利仁は神の使いゆえに不死身だから。
というわけで狐は天使で利仁は神の使いである。

23 名前:有村 ◆7M88x/CE 投稿日:2013/08/04(Sun) 23:08
<<考えている方針>>
班員をA,B,Cとします。
T
@まず、1と2を全員考える。(やるひと→A,B,C) ← 8月4日17:00提出
Aそれをもとに1と2をまとめる。(やるひと→1:A、2:B) ←8月7日15:00提出
★B,Cが1をC,Aが2を検査的なことをする。←8月7日18:00提出
【☆そのまとめられたものをもとに3を全員考える。(やるひと→A,B,C)←8月9日18:00提出】←やらない可能性がある
B3をまとめる(やるひと→C) 8月11日18:00提出 (☆をやらないときは8月10日18:00提出)
*A,Bが3に検査的なことをする。←8月11日21:00提出(☆をやらないときは8月10日21:00提出)
C4を作るというか話し合う。(やるひと→A,B,C)←8月12日24:00までにする。
D「パーツがそろった」のでそれらを全部ワードにコピペする。(できる人は印刷までする。)←学校始まる日まで。

α本文作る←なるべく早く(そうでないと私の語彙プリントがつくれません。)
β語彙プリント作る←学校始まる日まで。

24 名前:UNKO ◆.UNKO/.. 投稿日:2013/08/05(Mon) 11:09
1.登場人物の役割

i )登場人物の設定

五位とは官位の一つであり、「芋粥」の主人公である。
『風采の甚だ上がらない男であつた。第一背が低い。それから赤鼻で、眼尻が下つてゐる。口髭は勿論薄い。
頬が、こけてゐるから、顎が、人並はづれて、細く見える。唇は――一々、数へ立ててゐれば、際限はない。
我五位の外貌はそれ程、非凡に、だらしなく、出来上つてゐたのである』

この描写から分かるように彼はさえない風貌と取り柄のない性格で、下人や子供にまで馬鹿にされたり、同僚や上のひとにはからかわれたりするが、
彼はこれらに対しては無感覚で表情一つ変えたことは無く、たまに、ひどい悪戯をされても、笑っているのか、泣いているのかわけのわからない顔をした。
そして、いつでも必要最小限のことしかしたがらず、また出来れば何もしたくないという生き方をしてきた
また、彼には「芋粥を飽きるほど飲みたい」という夢があった。


利仁とは、地方豪族である藤原利仁のことであり、実在した人物である。
敦賀に滞在していることが多く、五位の願いを聞き入れ、飽きるほどの芋粥を用意する。


狐とは、位と利仁が敦賀に向かう途中で利仁に命令され て敦賀に先に向かって、利仁の命令を守った獣である。
役目を果たした後、芋粥を食べる描写がある。

この物語の主な登場人物は以上3名だが、五位と狐の関係を次にまとめる。



ii )3名の関係性
前にも述べたように、五位は官位の名前であって主人公でありながら実名は与えられていない。
ふつう、人には名前が付いている。また、名が無いものは存在しないのと同じ。
つまり、五位は人間扱いされていないのだ。
なぜ芥川は名前を与えなかったのか。

ここで狐について考えてみよう。
狐は利仁の命令で、敦賀に向かい、役目を果たし芋粥を食べる。
この芋粥は狐が利仁の命令を果たしたことに対する報酬である。
役目を果たした者には報酬が与えられるのは当然だ。しかし、五位は常に何もしようとはしない。
だから五位は結果的に芋粥を食べられなかったとも考えられるだろう。

つまり五位この物語の中では動物以下の者なのだ。
狐にも名前が与えられていない。
五位に名前が無いのも当然と言えるだろう。



===============================================================================================


2.芋粥の役割
i )芋粥とは
山芋を甘葛のシロップで煮込んだお粥のことである。
当時は今と違い、ハッキリとした甘い物が貴重であったため、芋粥は高級品だった。
そのため、貧乏な五位は一年に一度口にできるかどうかの代物だった。

ii )五位と狐のの芋粥に対する思い
五位程度の人間にとっては貴重な食べ物で、
『五位は五六年前から芋粥と云ふ物に、異常な執着を持つてゐる。』
『そこで芋粥を飽きる程飲んで見たいと云ふ事が、久しい前から、彼の唯一の欲望になつてゐた。』
以上から分かるように彼が飽きるほど食べたいものだった。
芋粥をごちそうしてもらうために、遠くの敦賀まで行くが
しかし、いざ目の前に大量に芋粥を並べられるとほとんど食べることはできなかった。

狐は利仁に敦賀に使わされ、その後芋粥を食べる
ここでの芋粥は前にも述べたように狐の役割に対する報酬である。

このように五位にとってはあこがれの存在であり、
狐にとっては自分の報酬であるということが分かる。



-------------------------------------------------------------------------------------------------------







25 名前:有村 ◆7M88x/CE 投稿日:2013/08/08(Thu) 10:18
2「芋粥」からわかること
@)芋粥とは
まず芋粥はどのようなものなのか。当時の人々にとってどのようなものだったのか。このようなことを知らないと研究することはできないだろう。

芋粥とは「さいの目に切ったサツマイモを入れて炊いた粥」のことである。また、昔のものはヤマノイモを薄く切りアマズラ(つる草の一種)の汁で炊いた粥状のものであった。当時は今と違い、ハッキリとした甘い物が貴重であったという。また昔は宮中の大饗(平安時代に宮中または大臣家で正月に行った大がかりな宴会のこと)で用いられたほど高級であったので、五位は一年に一度食べられればいい方だったという。


26 名前:有村 ◆7M88x/CE 投稿日:2013/08/08(Thu) 10:19
A)文章からわかること
@京都編
まずこの記述に注目しよう


『この朔北(さくほく)の野人は、生活の方法を二つしか心得てゐない。一つは酒を飲む事で、他の一つは笑ふ事である。』


「朔北の野人」とは五位のことである。なぜ「朔北の野人」と表したのだろうか。それは、「朔北の野人」ということは都の人々とは違うからである。


珍しく、五位に同情していたひとも五位のことを『丹波(たんば)の国から来た男で、まだ柔かい口髭が、やつと鼻の下に、生えかかつた位の青年』と表しているように、五位に同情を寄せたり五位を喜ばせてあげようとしたりする人は、都の人ではないのではないかということが考えられる。

次にこの記述に注目しよう。


『この問答を聞いてゐた者は、皆、一時に、失笑した。「いや……忝うござる。」――かう云つて、五位の答を、真似る者さへある。所謂、橙黄橘紅(とうくわうきつこう)を盛つた窪坏(くぼつき)や高坏の上に多くの揉(もみ)烏帽子や立(たて)烏帽子が、笑声と共に一しきり、波のやうに動いた。中でも、最(もつとも)、大きな声で、機嫌よく、笑つたのは、利仁自身である。「では、その中に、御誘ひ申さう。」さう云ひながら、彼は、ちよいと顔をしかめた。こみ上げて来る笑と今飲んだ酒とが、喉で一つになつたからである。「……しかと、よろしいな。」
「忝うござる。」
 五位は赤くなつて、吃(ども)りながら、又、前の答を繰返した。一同が今度も、笑つたのは、云ふまでもない。それが云はせたさに、わざわざ念を押した当の利仁に至つては、前よりも一層可笑(をか)しさうに広い肩をゆすつて、哄笑(こうせう)した。』


この部分から利仁が五位をからかっているだけではないかと推測することもできるが五位と利仁が敦賀についてから、利仁が五位に対してとても親切にしてくれたことから、ただ単にからかっているだけではなく五位を喜ばせようという気持ちもあったと考えられる。

A敦賀編
以下の記述に注目しよう。


『「この辺の下人、承はれ。殿の御意遊ばさるるには、明朝、卯時(うのとき)までに、切口三寸、長さ五尺の山の芋を、老若各(おのおの)、一筋づつ、持つて参る様にとある。忘れまいぞ、卯時までにぢや。」』


『釜の下から上る煙と、釜の中から湧く湯気とが、まだ消え残つてゐる明方の靄と一つなつて、広庭一面、はつきり物も見定められない程、灰色のものが罩(こ)めた中で、赤いのは、烈々と燃え上る釜の下の焔ばかり、眼に見るもの、耳に聞くもの悉く、戦場か火事場へでも行つたやうな騒ぎである。五位は、今更のやうに、この巨大な山の芋が、この巨大な五斛納釜の中で、芋粥になる事を考へた。さうして、自分が、その芋粥を食ふ為に京都から、わざわざ、越前の敦賀まで旅をして来た事を考へた。考へれば考へる程、何一つ、情無くならないものはない。我五位の同情すべき食慾は、実に、此時もう、一半を減却(げんきやく)してしまつたのである。』

そして、朝飯の時間になっても明け方、食欲がなくなったままであった。
『中にはどれも芋粥が、溢(あふ)れんばかりにはいつてゐる。五位は眼をつぶつて、唯でさへ赤い鼻を、一層赤くしながら、提に半分ばかりの芋粥を大きな土器(かはらけ)にすくつて、いやいやながら飲み干した。』


以上から、五位は芋粥が作られるのを見ただけで、それまでずっと持ち続けていた「芋粥を飽きるほど食べたい」という願望が萎えてしまったということが分かる。



27 名前:有村 ◆7M88x/CE 投稿日:2013/08/08(Thu) 10:19
B)五位の芋粥に対する思い
五位の芋粥に関する記述は以下のようなものがあった。

『五位は五六年前から芋粥(いもがゆ)と云ふ物に、異常な執着を持つてゐる。(中略)従つて、吾五位の如き人間の口へは、年に一度、臨時の客の折にしか、はいらない。その時でさへ、飲めるのは僅に喉(のど)を沾(うるほ)すに足る程の少量である。そこで芋粥を飽きる程飲んで見たいと云ふ事が、久しい前から、彼の唯一の欲望になつてゐた。勿論、彼は、それを誰にも話した事がない。いや彼自身さへそれが、彼の一生を貫いてゐる欲望だとは、明白に意識しなかつた事であらう。が事実は彼がその為に、生きてゐると云つても、差支(さしつかへ)ない程であつた。』


このような記述から五位にとって芋粥は高嶺の花のような存在であったことが読み取れる。だからこそ、五位にとって芋粥をたくさん食べるということはとても価値があったのだが、なぜか五位は芋粥を食べられなかったのである。


C)狐の芋粥に対する思い
また、狐にとって芋粥はどのようなものなのだろうか。
狐の芋粥に対する記述は以下のようなものがあった


『「狐も、芋粥が欲しさに、見参したさうな。男ども、しやつにも、物を食はせてつかはせ。」
 利仁の命令は、言下(ごんか)に行はれた。軒からとび下りた狐は、直に広庭で芋粥の馳走に、与(あづか)つたのである。
 五位は、芋粥を飲んでゐる狐・・・』


これは、利仁が狐に芋粥をやる時の発言である。狐は五位と同様に芋粥を欲しがっていたが、五位とは違い嬉しそうに食べた。五位のように食べられないようなことはなかったのである。



28 名前:ヒヨラ ◆//ROfdF. 投稿日:2013/08/10(Sat) 18:41
3、考察

@)芥川の人生と文学史的見地から彼の初期の作品について

まず、芥川龍之介は35歳という短い生涯の中で、多くの作品を書き、多くの名作を
世間に輩出してきたが、その中で、我々が研究したこの『芋粥』という作品は、彼の短い生涯のなかでも、初期の作品にあたる。彼は当時、一学年に数人しか合格しないと言う
東京帝国大学英文学科に合格し、卒業時も20人中2番目の成績で卒業した。そのためか、彼の作品の特徴として、文書構成の仕方が英文学的であることが挙げられ、さらに、論理的かつ簡潔に整理されているというのも彼の作品の特徴の一つである。
彼の作品は短編小説が多く、また、彼はこの『芋粥』を書く前はおもに、西洋の文学を和訳したものが多かった。その後、「羅生門」、「鼻」と名作がうまれ、この『芋粥』につながっていくのである。「羅生門」は教科書で学習したように、彼の有名な作品の一つであることは確かである。「鼻」は彼が、大学卒業時に書いた作品で、この作品が、夏目漱石に絶賛され、彼の名は一気に世間に知れ渡ったと言える。
これら「羅生門」、「鼻」、『芋粥』の3作品は「今昔物語集」を題材としているという共通点を見ることができる。また、これらの作品は人間の内面、特にエゴイズムを書いたものである。エゴイズムとは、利己主義。つまり、自分さえよければ良いという考えである。
この『芋粥』において、彼の書いた『芋粥』の元になっている「今昔物語集」では、
地方豪族である藤原利仁が、いかに「五位」を翻弄しつつその権勢を見せつけたか、に重点が置かれているが、彼の『芋粥』では、五位の精神的自由を叙述の中心としているという違いがある。この芋粥は「新小説」という文芸雑誌に発表された作品である。「新小説」とは、「都の花」という日本最古の営業文芸雑誌として成功を収めた文芸雑誌に対抗して、新しい小説の方向を示そうとして作られた文芸雑誌である。この雑誌の発刊期間は、おもに2つに分けることができる。
第一次 1889年1月〜1890年6月、第二次1896年7月〜1926年11月
である。
特徴としては、新人の作品を積極的に掲載するということが挙げられる。新人の作品を多く掲載することによって、この小説から多くの有名作家が誕生した。
この『芋粥』は1916年9月、つまり、第二次のときに、掲載されたものである。
このように、『芋粥』は彼の初期を代表する作品の一つであり、
「羅生門」、「鼻」と並ぶ彼の名作の一つである。



29 名前:ヒヨラ ◆//ROfdF. 投稿日:2013/08/10(Sat) 18:41
B)心情的見地から五位について

この物語で描かれているのは、人間の中にある矛盾した二つの感情であるとかんがえられる。五位は、芋粥に飽くことを心の支えに生きていたのに、いざ願いが叶うと、支えを失った自分におろおろした。これと似たようなものが、「鼻」の中でも描かれていた。「鼻」の場合は、人の不幸に対する同情心と、もう一度不幸にしたいという傍観者の利己主義というものであった。これは、意味は違えど、大きな出来事の前後において、矛盾した感情が現れるということでは共通している。
 このような感情は、多くの人が少なからず持っていると思われる。遠足や修学旅行などの楽しいイベントなどでもそれに似たようなことは起こるだろう。なぜなら、遠足や旅行は、準備をしている時や、行きの列車の中が一番楽しかったりするからだ。 この不思議な感情についてもう少し突っ込んでみると、遠足などと違い、五位の場合はある意味消極的な願望と言える。それは、毎日の惨めな生活の一方で、芋粥という些細な楽しみを心の支えにしているからだ。しかしながら、消極的ながらもその願望は、叶う可能性は低いもの、逆に言えば大きな願望である。
 私たちの考えでは、五位が芋粥に憧れ、心の支えにしているのは、ある意味で現実逃避に近いと考えられる。叶わないとわかっているからこそ、それに憧れて安心しているのである。芋粥を腹いっぱい食べることのできない現実があるからこそ、芋粥を心の支えにして、みじめな毎日に耐えることができるのではないか。循環論法のようではあるが、この芋粥に対して叶わぬ願望を抱く姿は、適当に扱われて笑いものにされ、それを拒否できない、状況を変えられない彼の姿に重ね合わせることができる。そしてここで重要なのは、五位はその境遇から逃れたいとは思っていないということである。心の奥底、彼自身も気が付かないところで、粗末に扱われていることに一種の安心感を得ているのだ。
だから彼は、現実逃避をしつつも、本当の意味では現実から逃れられないことに安心しているのだ。そのような状態が、彼にとって一番落ち着くのである。このような歪んだ感覚はなかなか理解し難いが、大なり小なり、誰もがこのような感覚を持っているはずである。
 しかし、まともな感覚を持っている人間ならば、歪んだ感情に気が付き、それを変えようと考える。当然ながら、笑われることや、粗末に扱われることを拒否する。相手にそれを態度や言葉で示したり、あるいは笑われる原因を考えて、それを直そうとするであろう。仮にまともな人間が芋粥に憧れ、五位と同じように願望が叶ったとすると今度は、新たな願望、できるならさらに上の願望を抱くはずである。
 つまり、「気の弱い人間の消極的な願望は、叶えるためではなく憧れるためにある」ということである。また、そのような人は大抵、物事に勝手に条件をつけているのだ。例えば「願望のためには犠牲は払わない」などというものである。しかし、「いろいろな面で向上心をもち、幸福を求める」というのが普通の人間なのだ。つまり、五位のような人間は、無駄に、あるいは必要のないところまで苦労をしているということである。
だから、作者が言いたかったことは、常に向上心をもち建設的な思考をすることが大事であるということではなかろうか。


30 名前:ヒヨラ ◆//ROfdF. 投稿日:2013/08/10(Sat) 18:45
sukunakutemousiwakenai

nikuduketanomu

31 名前:フォイ ◆ADqSEaes 投稿日:2013/08/30(Fri) 22:55
一応八徳

32 名前:フォイ ◆ADqSEaes 投稿日:2013/08/30(Fri) 22:55
0.作品背景と研究の方法
@)作品背景『芋粥』は、芥川龍之介の短編小説で、1916年9月の『新小説』に発表された。
『今昔物語』第26巻17話「利仁将軍若時従京敦賀将行五位語」や『宇治拾遺物語』第1巻18話「利仁將軍暑預粥事」が題材となっていて、『鼻』と並ぶ古典翻案ものの一つと位置づけられている。
この作品は芥川の想像力を生かして、「自由」の追求がテーマとなっている。

A)あらすじと作品の評価
☆短編のためあらすじは省略します。
「今は昔、利仁の将軍といふ人ありけり。」とはじまる「今昔物語」の有名な鎮守府将軍藤原利仁のエピソードを下敷きに、芥川龍之介は「芋粥」を書いた。夏目漱石は芥川龍之介宛の手紙で前半のくだくだしさを指摘している。 その前半のくだくだしさは、終わりの部分の愚かな夢を抱いて人生を耐えていた幸福な過去への回想に結びつく。 前半がくだくだしいのであれば、終わりも蛇足と言うことになる。 だが、三好行雄は「芋粥」は理想の幻滅を描いただけの小説ではないと断じ、 「五位は確かに欲望をとげられるその瞬間に、幻滅を味わう。 しかし、彼が真に絶望したのは、自己の生の代償が巨大な五斛納釜で煮られ、狐にさえ馳走される事実に対してである。 勝ち犬の恣意によって、負け犬の生が犯される。そうした不条理な人間関係の中に、作者は青侍とともに〈世の中・・・本来の下等さ〉を見たのである。」(1950年 角川文庫版あとがき) と評価した。



33 名前:フォイ ◆ADqSEaes 投稿日:2013/08/30(Fri) 22:56
B)問題設定と研究の方法
芋粥は芥川龍之介の代表作の1つである。
ゴーゴリの外套と話が似ている点から当時の芥川龍之介は海外文学に多少なりとも影響を受けていたと考えられる。
そして彼の作品はそれらを真似たものであった。また、
「自分の作品が100年後の東京の古書店に一冊でも残っててくれてたら泣いて喜ぶ。」
という彼の言葉から、自分の作品に対する自信のなさが感じられる。
確かにはなしの内容は似ているが、ここでいくつかの疑問が生じる。
外套の主人公にはアカーキイという名前が付けられているのに対し、
芋粥の主人公には”五位”という階級の名前しか与えられていない
また、五位は夢にまでみた大量の芋粥を目の前にしているのにもかかわらず食欲を失う。
そしてもう食べなくていいとなると、安堵感を覚える。

なぜなのか。これらの疑問を芋が湯に出てくる登場人物や 五位の性格から読み取ろうと思う 。


34 名前:(●▲●) ◆MiLSf2YY 投稿日:2013/09/04(Wed) 17:33
あげ

35 名前:(●▲●) ◆MiLSf2YY 投稿日:2013/09/04(Wed) 18:00
【連絡】
@(@)、(A)、(B)をそれぞれ三つに分けて修正する。 例:ネガケロくん((●▲●))→(@)、ポジハメくん((*^○^*))→(A)
A今日(@)、明日(A)、明後日(B)を3人でする。

どっちがいい?やらないという意見はなしで。まだまだ時間あるし。まあ@がいいと思うけど。

36 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/04(Wed) 22:13
あげ

37 名前:(☆●☆) ◆7Lyxjbjs 投稿日:2013/09/04(Wed) 22:18
どういうこと?

38 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/11/10(Sun) 15:31


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