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昭和「日本映画黄金時代」と映画主題歌
- 1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/10/04(Sun) 23:04
- 昭和前半、昭和の初頭から昭和30年代にかけ、日本映画は黄金時代にあった。
まだ日本が草深かった時代、日本がまだ貧しかった時代、まだテレビもなかった時代、
娯楽は「映画」だった。
どんな小さな街にも、ちいさな映画館があった。そして映画公開を楽しみに待った。
その映画には主題歌があって、レコード全盛時代で映画とともに人々は、それを愛唱し
口ずさんだのが今に残る多くの名曲だった。
日本におけるトーキ―映画の最初は田中絹代主演の昭和6年「マダムと女房」。日本における「映画主題歌」は、
昭和4年、佐藤千夜子「東京行進曲」(西條八十作詞、中山晋平作曲)。
特に、映画と提携したのが昭和6年に彗星のごとく登場した古賀政男で、「古賀メロディー」の名で愛されたその多くの名曲の、その多くは映画主題歌でもある。
- 46 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/12/06(Sun) 00:04
- 「人生の並木路」(佐藤惣之助作詩,古賀政男作曲、ディックミネ)
もはや昭和は遠くなりにけり。昭和が平成に変わった頃、『人生の苦悩』を歌った歌の特集があったが、内容は『神田川』などだった。“四畳半フォーク”が゛“人生の苦悩”じゃ、世も末だなと寂しくなりました。
『人生の並木路』は、昭和12年(1937)1月、日活映画.渡辺邦男監督「検事とその妹」(竹田敏彦原作 「検事の妹」)の主題歌です。
日本はいつの間にか豊かになりましたが、長く貧しい時代が続きました。昭和戦前、日本がまだ草深い貧しかった時代、幼くして両親を失った兄と妹が支え合って生きていく兄弟の絆を歌った名曲です。
まだ20代の若きディック・ミネが歌う原曲(テイチク1200)。この歌を聴くと詩の世界に引き込まれそしてなぜか自然に涙が溢れ出てしまう。
昭和の歴史が生んだ歴史に残る究極の名曲といえるでしょう。是非歌い継いでいってほしいです。
今は昔の人から言えばハッピーな時代ではないでしょうか。
昔は昭和戦前まで、貧しさゆえに子供を小学校卒業を待たず奉公にだす、そんな時代であったことでしょう。このころの歌には、優しさと温かさがあると思います。
日本が豊かになるにつれ、こうした優しさ、温かさが、だんだん失われてゆくのは大変残念なことです。
家族の絆や心の豊かさは、今の日本よりも至る所にあふれていたでしょう。
支え合って真面目に生きてゆく真摯な兄と妹の姿。
そこに嘘・偽りが無い、だから聴いていて思わず涙が溢れるのでしょう。
どんなに苦しくとも貧しくとも、まじめに生きていればきっといいことがある。
この歌は、日本人が忘れかけていたことを思い出させてくれます。
「人生の並木路」は、味わえば味わうほど、聴けば聴くほど深みのある、それぞれの人生に重ね合わさるすばらしい歌です。まだテレビも無かった昭和戦前から戦後にかけて、「日本映画黄金時代」で、どんな小さな街にも、小さな映画館があって、こうした映画に浸れた、貧しくとも心豊かな時代だったでしょう。
映画「検事とその妹」は、その昔、公の支援も無かった貧しい時代、・・幼くして自ら人生を切拓くべく世に出ていく、兄と妹の青春の葛藤の姿と言えるでしょう。その詩は「簡潔にして適切」、もう今ではけっしてできない誌です。
「佐藤惣之助」という稀有な詩人であり作詞家によって、そして自らも故郷喪失体験を持つ古賀政男という第一級の作曲家が、楽譜を大粒の涙で濡らしながら生れた究極の名曲と言えます。
心をこめて一所懸命に歌う、若きディック・ミネの『人生の並木路』、その3分には、そっと寄り添い包みこむ温かさと優しさが溢れている。
・詩人・佐藤惣之助と四季の卓子(たくし=テーブル)
h ttp://blogs.yahoo.co.jp/hanakoamemiya/37942741.html
- 47 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/12/06(Sun) 00:08
- 昔、日本が農村主体のまだ貧しかった時代、たいてい貧乏人の子だくさんでした。兄は弟や妹を一身に面倒見る、それが当たり前だったそうです。
「飽食の時代」といわれる今の世では、絶対に書けない。
詩人・佐藤惣之助は、「兄弟の絆」というものを短い言葉で簡潔に歌い上げています。現代にはありえないすばらしい歌詞だと思います。
「人生の並木路」はなんといっても昭和12年「オリジナル原盤」で聞かなければ味わえない。若きディックミネが歌うオリジナル版は、まさに悲壮感漂う名曲です。
なお、もうひとつ『聖処女(きよおとめ)の唄』(佐藤惣之助作詩、古賀政男作曲、藤山一郎歌)は同挿入歌です。
以前、NHK教育テレビの『大希林』という番組で、「樹木希林」さんが、なんか「作詞」の講義をしていて、何回試みてもどうしても長くなってしまって、何言ってるんだか良くわからないと。
そして『簡潔で、適切で、これを超えるものはない』として、樹木希林さんが出した「最高の詩」それが何と『人生の並木路』でした。
別に歌番組でも、まして「古賀メロディー」番組でもなかったのですが、・・泣くな妹よ 妹よ泣くな・・という詩とともにこの曲が流れた。
古賀政男自らも、7歳にして一家で貧しい故郷を捨てて朝鮮に渡り、17歳まで朝鮮で過ごした。
古賀政男は、『詩はお姉さん、曲は弟』と詩を大切にした人で、この佐藤惣之助の詩に触れ「大粒の涙で五線紙を濡らしながら」作曲したといわれます。
- 48 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/12/07(Mon) 22:11
-
人生の並木路
(佐藤惣之助 作詞、古賀政男 作曲 )
1.泣くな妹よ 妹よ泣くな
泣けば幼い二人して
故郷を捨てた甲斐がない
2.遠いさびしい日暮れの路で
泣いて叱った兄さんの
涙の声を忘れたか
3.雪も降れ触れ 夜路のはても
やがて輝くあけぼのに
わが世の春はきっと来る
4.生きて行こうよ 希望に燃えて
愛の口笛高らかに
この人生の並木路
CD『古賀政男生誕100年記念 SP原盤による古賀政男名曲集(上・
下)』 テイチクTECE 24459,25460
この歌はデイックミネが歌ったものだが、普通戦後30〜40年代ごろに歌っているのは
オリジナルのものとはだいぶ違っている。
若きディックミネの歌う 昭和12年オリジナル(テイチク1200)は悲壮感漂うものでいい!!。
- 49 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/12/17(Thu) 23:56
- >>30-31
訂正
・松竹1931 「天国に結ぶ恋」
主題歌 「天国に結ぶ恋」(柳水把(西條八十)作詞、林純平(松平信博)作曲)
歌 徳山l(とくやまたまき)、四家文子
・松竹1932 「銀座の柳」
主題歌 銀座の柳(西條八十作詞、中山晋平作曲)歌:四家文子
- 50 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/12/28(Mon) 13:39
- >>46-48
人生の並木路
雪も降れ降れ 夜路のはても
やがてかがやく あけぼのに
わが世の春は きっと来る
3番目の詞と4番目の
生きて行こうよ 希望に燃えて
愛の口笛 高らかに
この人生の 並木路
〜この詞に救われる思いがします。
だれもがそう励まされて人生のたどって来た道すがら、人という物は道の末にあると思う我が世の春を、今も夢見て歩くようです。
厳しい世は世の中や出逢う人々が辛くあたり意地悪をするわけではないのですね。
『世の総ての厳しさこそ、幸福の手がかり』
と、く二人の背にやがては登る太陽の暖かさに励まされて我が人生の並木道を行く姿の中に「常楽我浄」があると聖者は説いた。すなわち・・・
諸行無常 是生滅法 消滅滅己 寂滅為楽
『常楽我浄偈』(じょうらくがじょうげ)として世の人々の火灯りとして智慧の灯りを点されていますね。
この歌を聞くとき何時も、このように思うのですよ。
これは、私の心の師「盲目の賢者」様から教え諭された事です。
- 51 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/12/30(Wed) 22:34
- >>43-48、>>50
【美輪明宏】昭和の流行歌「人生の並木路」
ThePleiadian2012
2015/01/12 に公開
美輪明宏さんが昭和の名曲『人生の並木路』について語っています。
(「プレシャスサンデー」美輪明宏薔薇色の日曜日20151.11より)
「人生の並木路」
You Tube です。上記の表題で(コピー)検索してください。
- 52 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/12/31(Thu) 18:47
-
【美輪明宏】作曲家・古賀政男について
Thepleiadian2012
2014/06/01 に公開
美輪明宏さんが昭和の国民的な作曲家・古賀政男さんについて語っています。
(TBSラジオ『岡村仁美 プレシャスサンデー』 薔薇色の日曜日2014,6.1より。)
- 53 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/01/01(Fri) 21:31
-
作曲家・古賀政男
dummy
2015/10/14 に公開
You Tube
- 54 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/01/02(Sat) 17:55
- >>53 は
作曲家・古賀政男 You Tube
・・で検索(コピーして)してください。
- 55 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/01/16(Sat) 18:41
-
【美輪明宏】冬に聴きたい昭和の名曲「人生の並木路」古賀政男の曲は歌手が苦労していた
.
Himatsubushi Channel
2015/01/10 に公開 You Tube
美輪明宏さんが、冬にぴったりな昭和の名曲「人生の並木路」について話し、昭和期に活躍された作曲家の古賀政男(こがまさお)さんや、作詞家の佐藤惣之助(さとうそうのすけ)さん、歌手のディック・ミネさんなどを紹介し、懐かしの昭和流行歌について語られています。古賀政男さんの曲は歌い手が困っていたという裏話が面白かったです。
※曲は省略していますm(__)m
美輪明宏 薔薇色の日曜日 2015年1月11日放送分より
- 56 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/01/16(Sat) 23:14
- 聖処女(きよおとめ)の唄
作詞 佐藤惣之助
作曲 古賀政男
歌 藤山一郎
鉄の小窓の 夜嵐に
凍る涙の 黒髪かなし
愛と罪とに わが身を捨てて
聖(きよ)き処女(おとめ)よ 何を泣く
恥も外聞(がいぶ)も 知りながら
なぜにわずかな 黄金(こがね)のために
花の生命(いのち)を みずから散らす
弱い心に なったやら
愛の光よ くれないの
青春(はる)の夢さえ 只ちりぢりに
すててひとやの 闇夜にすだく
あわれ処女(おとめ)の つゆ涙
- 57 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/01/22(Fri) 18:30
-
古賀政男との思い出〜りんどう峠(島倉千代子)
.
2015/09/25 に公開 You Tube
(この表題で検索のこと)
1979年(昭和54年の映像)
娯楽股旅映画「りんどう鴉」の挿入歌。出演:高田浩吉、嵯峨三智子、高峰三枝子、清川虹子等、お千代さんは、馬を曳く娘っ子の端役でした。
- 58 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/01/25(Mon) 21:40
- >>43-45,>>5,>>33,>>39-41,>>43
今夜のNHKニュースによると、[原節子]の出演映画の一つ、昭和11年
渡辺邦男監督 日活映画「検事とその妹」のワンシーンが修復に成功し10秒間ほどが公開となった。
- 59 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/01/25(Mon) 21:56
- >>58
NHK 2016年(平成28年)1月25日[月曜日]
文化・エンタメニュース一覧
「伝説の女優」原節子さん幻の映画一部復元
原節子 永遠に美しく
「伝説の女優」原節子さん幻の映画一部復元
1月25日 18時41分
「伝説の女優」と呼ばれ、去年9月に95歳で亡くなった原節子さんが16歳の時に出演した映画のフィルムが残されていたことが分かり、劣化したフィルムから一部の映像が復元されました。専門家は「原さんの初期の映画は失われたものが多く、復元できたことは意義がある」と話しています。
このフィルムは去年9月、95歳で亡くなった原節子さんが昭和12年、16歳の時に出演した映画「検事とその妹」です。
これまで神戸市の資料館に保管されていましたが、フィルムの劣化が激しく内容が分からない状態となっていました。このほどNHKなどが最新のデジタル技術を用いて修復したところ、およそ10秒間のシーンを復元することに成功しました。
映画「検事とその妹」は、検事になった兄と原さん演じる妹のきずなを描いた作品です。復元された映像は、裁判所の傍聴席とみられる場所を映した場面で、カメラが移動すると原さんが着物姿で前を見つめながら座る姿が映し出されます。
原さんは、このあと出演した別の映画をきっかけに大スターとなりましたが、それ以前のフィルムは多くが失われているということで、映画評論家の佐藤忠男さんは「ただきれいなだけでなく非常にそうめいな昭和初期の良家のお嬢さんという感じがよく出ていると思う。ワンカットだけでも復元できたことは意義がある」と話しています。
- 60 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/01/27(Wed) 16:20
-
昭和「日本映画黄金時代」と映画主題歌
h ttp://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=443967449&ls=50
- 61 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/01/27(Wed) 19:41
- 1995年09月30日発売
CD ;SP復刻による日本映画主題歌集 (戦前編) 1 ?5
(戦後編)6?15
日本コロムビア COCA-12851 ?
- 62 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/01/27(Wed) 19:44
- CD ; SP復刻による日本映画主題歌集 (戦前編) 1 - 5
; SP復刻による日本映画主題歌集 (戦後編)6-15
日本コロムビア COCA-12851-
- 63 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/02/13(Sat) 09:38
- ☆昭和SP歌謡 歌謡史を支えた主な名歌手(戦前・戦中) 1,
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=455286679&ls=50
- 64 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/02/15(Mon) 08:37
- ☆昭和「日本映画黄金時代」と映画主題歌
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=443967449&ls=50
- 65 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/08/04(Thu) 16:23
- 【日本の音楽文化遺産】日本の名歌・名唱を語ろう!!
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=466329511&ls=50
- 66 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/10/17(Mon) 12:56
- >>58-59
クローズアップ現代【原節子 永遠に美しく】 2016年1月25日
視聴回数 26,062 回
2016/01/25 に公開
この表題で検索のこと。You Tube
名女優原節子出演 復活幻の日活映画「検事とその妹」1937
- 67 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/02/13(Mon) 00:16
- 古賀政男総合スレ 2Ch,懐メロ・邦楽
h ttp://ai.2ch.sc/test/read.cgi/natsumeloj/1320231349/l50
- 68 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/02/14(Tue) 22:21
- 【昭和最大著作権王】昭和歌謡史と作曲家古賀政男【古賀メロディー!!】
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=487062431&ls=50
- 69 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/04/20(Thu) 00:00
- 日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
http://www.10ch.tv/bbs/history/index2.html#2
- 70 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/07/02(Sun) 22:19
-
春よいづこ
昭和15年(1940年) 東宝映画「春よいづこ」主題歌
西條八十詩・古賀政男作編曲 コロムビアーオーケストラ コロムビアレコード30526
なんかいつもほっとする曲です、
聞いてもいい曲です。
春よいずこ
作詞:西条八十
作曲:古賀政男
歌唱:二葉あき子/藤山一郎
(一)
おもいでは おもいでは
青い背広の 涙ににじむ 紅のあと
ああ 想い切ない 幻の
春はいずこぞ 雨が降る
(二)
あきらめて あきらめて
泣いて乙女が たどるは愛の 別れみち
ああ 小鳥啼け啼け わがこころ
春はいずこぞ 雨が降る
(三)
呼んだとて 呼んだとて
風はつめたい 涙をさそう 別れ風
ああ 夢は返らぬ 青草の
春はいずこぞ 雨が降る
久し振りに拝聴しています。つくづく思います。 あの厳しい時代によくぞ作曲されました、友人と隠れてギターを弾いて歌った 素晴らしいメロディーです。
- 71 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/07/03(Mon) 07:08
- なつかしの歌声
藤山一郎・二葉あき子
西條八十詩・古賀政男作編曲 コロムビアーオーケストラ コロムビアレコード30526
昭和15年、『春よいづこ』の挿入歌「なつかしの歌声」。藤山一郎・二葉あき子。藤山一郎の甘美・流麗なテナーでモダン東京を歌いあげています。演奏は明治大学マンドリン倶楽部。
な つ か し の 歌 声
作詩 西条八十 作曲 古賀政男
1 銀座の街 今日も暮れて
赤き灯燃ゆ 恋し東京 恋し東京
あの窓この小径 やさしの柳
あこがれは悲しき 乙女の涙
風よ運べよ いとしの君へ
2 歎きの道 ひとり行けば
みどりの樹に 鳥はうたう 鳥はうたう
やさしく寄り添いし 姿はいずこ
おもいでの窓辺に 忘れな草が
風に泣いてる きのうも今日も
3 夕焼け空は 君と眺め
うたいし歌 楽しいメロディー 楽しいメロディー
うたえば涙ぐみ こころは咽(むせ)ぶ
落葉ちる朝(あした)に 雪ふる宵に
呼ぶはこの歌 返らぬ涙
昭和15年(1940)2月21日公開の東宝映画『春よいづこ』(渡辺邦男監督)の挿入歌として作られ、同年4月にコロムビアからレコードが発売されました。
『春よいづこ』は川口松太郎の小説を映画化したもの。この小説は、昭和12年(1937)公開のフランス映画『美しき青春』(J.B.レヴィ、M.エプスタン共同監督)の翻案作品です。
映画では主人公を藤山一郎、その恋人を宝塚少女歌劇団で娘役のトップスターから映画界に転じていた霧立のぼるが務めました。
- 72 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/07/11(Tue) 11:35
- >>70-71
☆(西條八十作詞、古賀政男作曲)昭和15年〈1940〉
古賀政男の映画主題歌の傑作「なつかしの歌声」(藤山一郎/二葉あき子・歌唱)、「春よいづこ」(藤山一郎/二葉あき子・歌唱)です。ふたりとも東京音楽学校(現東京芸術大学)出身。
昭和15年東宝映画「春よいづこ」の挿入歌と主題歌で、藤山一郎も出演し歌唱は勿論、ピアノ、ヴァイオリン、トランペット、指揮と多彩な音楽家として実力を披露しました
『春よいづこ』は川口松太郎の小説を映画化したもの。
この小説は、昭和12年(1937)公開のフランス映画『美しき青春』(J.B.レヴィ、M.エプスタン共同監督)の翻案作品です。
映画では主人公を藤山一郎、その恋人を宝塚少女歌劇団で娘役のトップスターから映画界に転じていた霧立のぼるが務めました。
1938年(昭和13年)秋、外務省の音楽文化親善使節として渡米。渡米直前にコロムビアに復帰した。1939年(昭和14年)秋、アメリカNBC放送で古賀の作品が取り上げられた。帰国後、太平洋戦争前年、『誰か故郷を想わざる』『目ン無い千鳥』『新妻鏡』『なつかしの歌声』等がヒット曲となった。
コロムビアに移籍していた西條八十との歴史に残る黄金コンビが復活、古賀政男第三期黄金時代を象徴する名曲。
音のキャンバスいっぱい使ったような、「古賀メロディー」独特のあの吹き出るような青春の息吹に満ちた、前奏・間奏・後奏がそれぞれ独立した一曲にも値するような、朗々として爽やかな聞きがいのある第一級作品です。
西條八十・古賀政男、詩も曲も第一級、藤山一郎・二葉あき子、東京音楽学校(現東京芸術大)その歌は申し分のない。
現在ではありえない第一級作品。
- 73 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/07/12(Wed) 19:11
- 音のキャンバスいっぱいに広がる、溢れるような青春の息吹、「古賀メロディー」独特の前奏・間奏・後奏がそれぞれ独立した一曲にも値するような第一級作品です。
- 74 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/07/31(Mon) 06:59
- >>70-73
「東京ラプソディ―」(1936、門田ゆたか作詞)、「なつかしの歌声・春よいづこ」(1940、西條八十作詞)、いずれも藤山一郎が歌った戦前の「東京」を昂かに謳いあげた「古賀メロディ―」の不朽の名曲であり、大ヒット曲である。
戦後の東京を歌った歌に同じ藤山一郎の「夢淡き東京」(古関裕而作曲、サトウハチロー作詞)がある。
「東京ラプソディ―」を意識したものと言われるが、戦後の「夢淡き東京」これを含めて、「東京ラプソディ―」(1936)、「なつかしの歌声」これを超える東京を歌った名曲は未だに存在しない。
- 75 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/08/02(Wed) 19:16
- >>70-73,>>74
三分間の芸術
その音のキャンバスの極限を使う
溢れるような青春のメロディ
溢れる青春の息吹と感傷
古賀メロディ!
- 76 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/09/13(Wed) 12:55
- 昭和歌謡が好きな人集まれ!
- 77 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/09/19(Tue) 15:28
- 日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110
- 78 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/09/20(Wed) 21:03
- 昭和歌謡が好きな人集まれ! 音楽BBS 10cH
- 79 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/09/30(Sat) 11:11
- 古賀政男さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その五 「勝利の日まで」
「勝利の日まで」(サトウハチロー作詞 古賀政男作曲。霧島昇歌。一九四四年四月・コロムビア
h ttp://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2008/04/post_6c1b.html
- 80 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/10/12(Thu) 22:10
- 昭和歌謡が好きな人集まれ
http://www.10ch.tv/bbs/music/index2.html#2
- 81 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/10/13(Fri) 18:26
- >>80
訂正
昭和歌謡が好きな人集まれ
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=494943486&ls=50
- 82 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/02/01(Thu) 06:19
- >>79
勝利の日まで(サトウハチロー作詞、古賀政男作曲、昭和20年)
「勝利の日まで」これ古賀メロデーの隠れた名曲だと思います。
これは、勝利の日までというより、敗戦の坂を転がり落ちていく中で、その心情を歌ったもので、実は、昭和19年から始まった学童疎開の学童によって歌われたそうです。以下にある雑誌からの投稿を紹介します。
・・
昭和19年8月より、20年にかけ、国民学校3年以上の学童は、戦火を避けるため縁故があれば縁故で、無い者は集団疎開をおこないました。
映画『少年時代』は、この学童疎開を、体験した藤子不ニ夫原作によって映画化したものです。なお、これとは関係無いが、あの對馬丸の悲劇はこの時、昭和19年8月に起こったものです。
「学童疎開」、それは家族がバラバラになり、空腹といじめ、のみ・しらみなどそれは厳しいものだったようです。当時学童疎開を励まし歌ったものに、NHKから流れた国民合唱・『父母の声』(草川信作曲)、
♪太郎は父のふるさとへ 花子は母のふるさとへ・・、同じく国民合唱『勝ち抜く僕等小国民』(橋本国彦作曲)♪勝ちぬく僕等小国民 天皇陛下の御ために・・などがあります。同じ頃、「お山の杉の子」が歌われました。
こんななかで、疎開学童に歌われたもうひとつの歌に、古賀政男の隠れた名曲「勝利の日まで」(サトーハチロー作詞)があります。昭和19年末にNHKから。そして20年に入って同名の映画『勝利の日まで』(東宝 昭和20年1月25日公開)の主題歌として。
これは行進曲風で、前奏・間奏・後奏がそれぞれ独立した一曲に値するような、緊張感を持つ哀調を帯びた名曲。
「勝利の日まで」がまんした疎開学童 (狭山市 42才 印刷業)
昭和19年8月、太平洋戦争はサイパン・テニアン島の玉砕で、日本の敗色が濃くなってきた。
当時5年生の私も親元を離れ、信州の山寺に学童疎開をした。はるかに見降ろす千曲の清流。
りんごと桑畑に囲まれた山寺。都会育ちの少年にとって、見るもの全てが新しい世界だった。
遠足気分で遊びまわった私たちも.三日もたつと東京の両親のことを思い出した。
毎晩消灯後並べられた布団の中から、すすり泣きの声が聞こえた、泣くのは女の子、しかも一人っ子がおおかった。
楽しみは母からの手紙と食事時間。初めの頃は残すほどの食事も、しだいに質・量ともに落ちていき野草入りの雑炊、すいとん、サツマイモ、主食になった。空腹と望郷・・寂しさを忘れるために、私たちはいつも歌を歌った.40分もかかる村の学校への道、散歩の途中で、遊んだ千曲川の河原で、知ってる限りの歌が出た。
『先生、ぼくたちいつ帰れるの』勇気を出して、先生に聞く生徒もいた。『そのうち、日本軍が逆転して、一気に米軍をやっつける。
そうしたら、また東京に帰るぞ』・・私たちは、先生の言葉を疑いも無く信じた。日本が勝つ日まで、勝利の日まで我慢しよう。そんな私たちの気持ちにぴったり合った歌、それが『勝利の日まで』だった。
『さあ、みんな、そろそろ帰ろうか、最期にあれを歌おう。』声をそろえて歌ってるうちに、なぜかこの歌だけは涙がでてきた。途中で歌えなくなる生徒もいた。戦局は次第に悪化、沖縄も陥落、新聞を読むことも許されない私たちは、まだ日本の勝利を信じていた。
出て来いニミッツ、マッカーサー、出てくりゃ地獄へ逆落とし・・こんな歌を勇ましく歌ったのもこのころだった.出てくるまでもなく、日本のすぐ近くまで来ているのを知らずに。
そして終戦、虚脱状態で声も出ない先生、私たちは勝ったのか負けたのか分からないまま、とにかく戦争は終わった。私たちは一年ぶりに親元に帰れる。ただそのことだけを喜び合った。
・・一億人の証言(『別冊・一億人の昭和史 昭和流行歌史』毎日新聞社1979)より。・・
- 83 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/02/01(Thu) 07:04
- 勝利の日まで
作詞 サトウ・ハチロー 作曲 古賀政男
一、
丘にはためく あの日の丸を
仰ぎ眺める 我等の瞳
何時かあふるる 感謝の涙
燃えて来る来る 心の炎
我等はみんな 力の限り
勝利の日まで 勝利の日まで
二、
山で斧ふる 翁の腕も
海の若者 櫓を漕ぐ腕も
町の工場の 乙女の指も
今日も来る来る お國の為に
我等はみんな 力の限り
勝利の日まで 勝利の日まで
三、
雨の朝も 吹雪の夜半も
思ふは一つ ただただ一つ
遠い戦地と 雄々しき姿
浮かび来る来る ほほえむ顔が
我等はみんな 力の限り
勝利の日まで 勝利の日まで
四、
空に飛び行く 翼に祈り
沖をすぎ行く 煙に誓ふ
國を挙げての この戦に
湧いて来る来る 撃ちてし止まん
我等はみんな 力の限り
勝利の日まで 勝利の日まで
- 84 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/02/01(Thu) 07:08
- 「勝利の日まで」
サトー・ハチロー作詞 古賀政男作曲 歌手 霧島 昇
太平洋戦争の終盤 いよいよ先行きが危うくなってきた昭和19年の発表、国民総動員命令が下令され、女学生・中学生も学業を捨て、教師とともに勤労動員に駆り出された時です。
あたかも その応援歌となった歌ですが、もうサイパンは陥落し、対米勝利などありえないのが、然るべき人々には明白でした
内容の深刻さと対照的な奇妙に明るい歌詞とメロデイは、このコンビが戦後の歌謡界にも通用した理由でしょう。
アナクロニズムそのもので 戦後長く封印されてきた理由もそれですが、
「二度と こんな時代が来てはならない」と反語の意味で取り上げます。
音楽も娯楽も あらゆる文化が戦争賛美につながるよう仕向けられ、個人の楽しみが完全にはく奪された時代です。「時局がらふさわしくない」という理由で退けられた 音曲・映画の多かったことも、知られています。
昭和二年生まれの亡母は、ひもじい思いをさせられた女学校の苦しい動員生活を、奪われた青春として、何度も語っていて、戦後はシャンソン系にはまっていました。
晩年に、このメロディを聞くと女学生時代を思い出して、こっそり涙ぐんでいました。
戦時歌謡は、TVも映画もない当時の国民の 唯一の娯楽だったのでしょう。
- 85 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/02/08(Thu) 21:00
- 「西条八十作詞・古賀政男作曲」の沢山ある名曲の一つに、松竹映画「サヨンの鐘」(清水宏監督、1943年7月)の主題歌で格調高い「サヨンの鐘」(1941)他がある。
今ほとんど知られてないが、日台の架け橋のような歌で、現在も台湾で知らない人は無い歌だそうで参考までに、中国名「月光小夜曲」。
「サヨン」というのは、この台湾奥地に住む少数民族・高砂族の娘で、昭和13年、日本人警官の出征に際し、嵐の中、荷物を持って決死で送ってくれるんですが、
自分は丸太の橋で足を踏みはずして転落してしまう、そして日本の台湾総督府は、少女の兄に鐘を送る。それを聞いた渡辺はま子が
、太平洋戦争直前にこの歌を歌う。後昭和18年に映画が作られる。
平成10年9月7日NHK 特集で放送された。日本人の高校生の女の子が台湾に行き、「サヨン」のお姉さんや知り合いに、当時の様子を 取材して歩くというもの。
「サヨンの鐘」は、中国語では「月光小夜曲」というタイトルで歌われていますが、 サヨンの村では、日本の歌詞をそのまま中国語に訳して歌われてる。
台湾原住民(かつての高砂族)の小学生達が学校で合唱していました。
「サヨンの鐘」(西条八十)渡辺はま子・・中国名「月光小夜曲」
♪あらし吹き巻く 峯ふもと 流れあやふき 丸木橋・・
「サヨンの歌」(西條八十) 李香蘭(山口淑子)
♪花を摘み摘み 山から山を 歌いくらして 夜露に濡れる・・
「なつかしの蕃社」(西條八十)霧島昇、菊池章子
♪春はやさしい 緋桜が 赤く七つの 峰染めて・・
<CD 紹介>
CD「渡辺はま子 / シナの夜 (SP盤復刻による懐かしのメロディー)」・・サヨンの鐘
CD「李香蘭 / 蘇州夜曲 (SP盤復刻による懐かしのメロディー)」・・・・サヨンの歌
CD「SP原盤復刻による日本映画主題歌集 5」(「サヨンの歌」「なつか
しの蕃社」「勝利の日まで」他)(「サヨンの鐘」は入ってない。)
「サヨンの鐘」の“鐘”と、『組曲 サヨンの鐘』
h ttp://www1.ocn.ne.jp/~shoji/sayon.html
h ttp://yi-lan.karube.net/AVSEQ33.htm
- 86 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/02/10(Sat) 22:28
- コガミュージアムコンサート
三代目 海沼実の唱歌・童謡にんげん史
第22回 童謡誕生100年記念 西條八十
2018年は児童雑誌「赤い鳥」創刊100年の年で、童謡誕生100年記念の年とされます。
第22回は「赤い鳥」にも多数の作品を発表した、詩人西條八十さんを取り上げます。
懐かしのレコードと、ゲストの音羽ゆりかご会の歌唱で「カナリヤ」や「肩たたき」などの作品を
お楽しみいただきながら、人物像と魅力に迫ります。
2018年2月18日(日)
開演 14:00 (13:30開場)
古賀政男音楽博物館(コガミュージアム)けやきホール
入場料 指定席制 2000円 (要予約)
東京都渋谷区上原3−6−12
TEL.03−3460−9051
主催 一般財団法人 古賀政男音楽文化振興財団
東京メトロ、小田急線代々木上原駅
南口1 井之頭通り 駅前交番前
- 87 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/09(Fri) 18:30
- 日本の歌こころの歌
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=508252044&ls=50
- 88 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/05/06(Sun) 10:46
- 大女優原節子(1920年6月生まれ))の映画初演は昭和10年、15歳の時で、
『ためらふ勿れ若人よ』(田口哲 監督、1935年)節子 をはじめに戦後まで多くの映画に出演。
その中で、「古賀メロディ」を主題歌とする作品が多い。
『緑の地平線』前篇(阿部豊 監督、1935年)ゆかり(原初のトーキー作品)
『緑の地平線』後篇(阿部豊 監督、1935年)ゆかり(原初のトーキー作品)
『白衣の佳人』(阿部豊 監督、( 1936年)由紀子
『検事とその妹』(渡辺邦男 監督、1937年)明子
『蛇姫様』第一編(衣笠貞之助 監督、1940年)琴姫
『勝利の日まで』(成瀬巳喜男 監督、1945年)(冒頭の15分のみ現存、原はクレジットされているが出演場面を確認できないため、原節子作品リストに掲載されることがない幻の作品)
『麗人』 (渡辺邦男 監督、 1946年)菊小路圭子
- 89 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/10/07(Sun) 12:47
- 日本の歌こころの歌
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=508252044&ls=50
ラジオ番組について
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=351156284&ls=50
- 90 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/12/16(Sun) 09:33
- >>86
コガミュージアムコンサート
三代目 海沼実の唱歌・童謡にんげん史
第23回 弘田龍太郎
第23回は作曲家弘田龍太郎を取り上げます。
懐かしのレコードとゲストの音羽ゆりかご会の歌唱で
「叱られて」や「雨」などの作品を
お楽しみいただきながら、人物像と魅力に迫ります。
2019月年2月17日(日)
開演 14:00 (13:30開場)
古賀政男音楽博物館(コガミュージアム)けやきホール
入場料 指定席制 2000円 (指定席制 要予約)
東京都渋谷区上原3−6−12
TEL.03−3460−9051
主催 一般財団法人 古賀政男音楽文化振興財団
東京メトロ・小田急線代々木上原駅
南口1 右へ 井之頭通り 駅前交番前
- 91 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 23:59
- 【日本のクラッシック】 古賀メロディの歴史
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=558914195&ls=50
- 92 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/12/10(Tue) 23:07
- 日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110&ls=50
- 93 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/22(Wed) 19:41
- >>83-84
戦争中、国民の士気を高めたのは「露営の歌」「愛国行進曲」など勇ましい曲だと一般的には言われてるが、実際は貧しく戦争後期には空襲に脅える生活の中で、国民が励まされた曲は「勝利の日まで」(サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)
だったそうです。
- 94 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/29(Wed) 10:16
- ☆戦前の流行歌
h ttp://kazuhisa.eco.coocan.jp/senzen1.txt
- 95 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/17(Tue) 21:40
- 私のメモ帳・・・作曲家・古賀政男
h ttps://blog.goo.ne.jp/utaski1930/e/7bd753198c8ed63170acf84f11b45741
古賀メロディ聴き比べ16:あの夢この歌
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/f16e19d47310de22abfd845fa93b1c03
古賀メロディ 聴き比べ17:三百六十五夜
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/752cc96327d550c1947400216ada267e
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